最初が肝心
行動は自分の意志だけで簡単に出来るとは限らない。
社会や組織の中では、己の行動を変えるというのは、周りから見た印象も変えないと難しい場合がある。
最初、大人しいまま過ごす、、言いなりに過ごす、、、そういう過ごし方を繰り返していくと、、、、周りは、大人しい奴、言いなりの奴、、、そういう印象を持つ。
そういう印象の中から、自分が変わりたいと願い行動を起こしても、、、、周りの眼はそれを許さない場合がある。周りの眼の縛りが強い程、本人が変わりたくても変われない。そういうもんである。
本来、自分の意志とか性格というのは、簡単に変わるモノではない。
しかし、途中から変える、、、、というのは、最初の段階が意思に基づく行動をしていないという場合が多い。最初の段階で、周りに併せて、人が言うから、、、そういう行動を積み重ねていくと、途中で意思が芽生えても、その意思を貫徹する事は厳しいだろう。
組織の中でイエスマンで過ごす、、、、そうすれば、其奴は一生イエスマンという烙印が押される。そうなると、、、、主張出来ない、、、、そんなもんだろう。主張を通すための論理武装するにも、意思を持てない生活を積み重ねていると、論理武装するに必要な知識や論法も身に付いていない場合が殆ど。
イエスマンから意見を言う側になって、それを認めさえるには、感情的、衝動的な思い付きの前に、意見を通すために必要なモノは何?を見極めて、それに必要な準備、場合によっては、知識や論法を身に付けていかないと難しい。
しかし、その遠回りの手間を掛ける力が在れば、きっと変われるだろう。そういうモノだ。
そういう苦労を歳を取ってしたくなければ、最初が肝心。年代における今の瞬間に意思を持って行動する事。それしか無いだろう。つまり、最初というか、今の瞬間が肝心ということ。
子育てでは、こういう事を念頭において接しているつもり。
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