小さく、小さく、、、
望む事、関わる範囲、、、これって、年齢と共に小さく纏まる、、、そんな気がする。
振り返れば、幼稚園さんというと宇宙のヒーローになる、児童というとカッコイイ職業でヒーローになる、、、そういうのが多い。中学生以上になると、職業、大学、、、そういう方向、社会人になっていくと、更に小さく、会社の中で、組織の中で、、、と現実的な範囲で、望める範囲で、理想を手に入れる努力をする、、、、、、、そういう方向に変化する。
これ、誰にでも当て嵌まるような気がするし、自分も然りだ。
その究極、、、それが自分の掌握できる範囲で満足出来れば良いかな?という事になる。
しかし、、、それが多くの人の摂理だとすれば、そんな最後の望みさえ叶えられなくなる場合もありうる訳だ。
このように考えるエリアと理想が身近で小さくなる事、、、これも老化というか成長の一つの証のように見える。
自分を振り返ると、、、今や、自分の家族の健康と幸せ、それから自身の趣味、楽しみを保ち、自分の元気と健康と体力を維持出来ればイイや!ってノリだ。
解くに、趣味や楽しみを上回り、今や自分の身体が元気で若く保てればOK的な気持ちが殆ど。
まぁ、そういう願いに対して、現状はほぼ満足出来る状態故に、解くに不満も何も無い。
自分の身体が、自分の生活史の中で満足していた二十代の頃の筋力、持久力、健康、抵抗力、、、が、50歳間近の今でも維持出来ているというのは、小さいながらも大きな満足である。
実際、ベンチプレスしてリフト出来る重量や、泳げる距離、速度、自転車でも然り、、、そういう、地の力がモロに出る事を行っても昔と変わっていないし、怪我したりしても、その治癒の速度も昔と遜色ない。病気に対する抵抗力も然りだけど、この非常に小さな満足だけで、もう良いかな?って納得しているのだが、この範囲で納得する事自体が歳とった証明だし、この小さな事でも満足出来るというのは、それで十分とも思っている。
最近は増えすぎたモノを少しは、、、と思いつつあるのは、やはり、歳を重ねてきた事に他ならないのだろう。最後は己の身体、、、これに帰結するんだろう。
| 固定リンク
コメント
昔を保つ、、、楽しかった時の感覚を保ちたいというだけです。
楽しかった時の感覚を今も味わう、、、そのための条件が、その時の精神的、肉体的年齢だったりします。
まぁ、大した物でなく、そうありたいという願望というだけですね。
投稿: 壱源 | 2012年3月29日 (木) 07時50分
確かに。。。。納得です。。。。



とさせられました
そういう風に考えた事無かったけど。。。。
理想と現実の境目を成長と共に自然と認識していくんでしょうね。
でも小さくなってもその中で努力して満足するのと、自分はこんなもんと。。。。満足するのとは大きな違い。
常に自分のベストを維持しようと努力する壱源さんは凄いと思います。
今の自分と真剣に向き合う人って少ないんじゃないでしょうか。。。?私も含め。。。
ハッ
。大切な事だと思います。
投稿: chiffon | 2012年3月29日 (木) 02時48分