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2012年7月16日 (月)

価値観の分岐点

 最近、人生相談を受ける事が多かった。
 で、相談を受けに来る人は、自分に相談に来る訳だから、何かを期待しているのは、薄々感じられるのだが、、、、やはり、過ごした年数、年代に応じて考え方は誰しもが変わるのだ。

 で、自分の価値観の分岐を考えると、、、やはり、不惑四十を迎えた時だろう。

 それまでは?っていうと、価値観は、名誉欲であったり、金銭欲であったり、そういうのが少なくない。なるべく、満足できる稼ぎを得たいし、何かを残したいし、、、というのが優先順位の上位に来る。結果、、、、趣味や身体、健康は後回し、、、、

 しかし、、、不惑四十を過ぎると、、、、今度は自分の思想を引き継ぐモノに残したいという気持ちが上位にくる。具体的には育児、教育だ。自分の考えを後に残すには、見せる必要がある。考えとは知識、学問もあるけど、趣味、嗜好に至る全て、、、、それらを見せるには、見せられる身体が何よりも大事。となると、、、拘りの趣味であったり、身体、健康が上位にくる。

 そう、不惑四十になると、二十代、三十代の描く理想とは違う理想を持っているのだ。二十代で満足出来る成果、理想と、四十代の理想は異なるのである。

 ただ、サラリーマン社会において、四十を過ぎても二十代、三十代の延長で過ごす人が多いのは、、、、不惑四十を迎えた時に、生き方の方向性を選ぶ権利を失っているだけでは無いだろうか?

 そこで、生き方を変える選択が出来るのは、所謂、組織に対する主張が出来るかどうか?である。
 組織に盲目的に従順してくると、そこで二十年を過ごすと、周りは、当人に対して、『コイツは絶対服従だ』という人格を押し付けてくる。結果、その見方をうち破る事が出来ないし、その行為は周りから受け入れられないだけだろう。それが、選択の権利を失ったと言う事だ。

 不惑になったから生き方を変える、、、それが許されるか否か?というのは、其処までの生き方次第なのだ。そこで突然主張を始めても、、、だれも聞く筈が無いのだ。

 生き方を変える事が出来ないまま歳を過ごすのも人生だろうが、その生命としての生き方の矛盾というのが、家庭内における親子の断絶を含む様々な問題や、熟年離婚といった疲弊を招いているのでは無いだろうか?

 生き方を思い通りに選ぶには、、、、、常に、意見出来る自分を保つ事、、、、それが、相談に来た人に対する回答だが、相手を説き伏せるには、、、やはり、理路整然とした論法と式が必要。それが無く、説得力がなければ何も出来ないのが現実、、、、結構、難しい問題。

 自分としては、今後も訪れるであろう価値観の分岐点において、自己で選択出来るようにしたいものである。

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コメント

こんばんは!
そうですね、分岐点における決断は、歳を重ねる程に大きくなりますね!
歳を重ねる程、周りから見た自分像が自分の行動に制限を掛けますね。
周りに与える印象自体が、自分の過去の行動ですから、結局は、自分が如何に行動してきたか?が、自分の自由度を左右する訳ですね。

ずっと言いなりだった人が、突然自己主張しても、誰も聞いてくれませんものね!
そういう意味では、私なんかは、黙っていたら、何かあったの?って心配される程ですが、、、

投稿: 壱源 | 2012年7月16日 (月) 01時34分

壱源さん、こんばんわ。
人生の分岐点…歳を重ねるにしたがって、
曲がり角も大きなものになるような気がします。
大それた決断が出来るのも、残りの人生何年?って
考えちゃうからかもしれません。
全てそれまでの生き方がそれを許すか、否か。
やはりそれにも準備が必要なのですね。

投稿: ココうさ | 2012年7月16日 (月) 01時12分

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