腐れ人事
不景気とされている昨今、不可解な事が多すぎる。
身近なところでは、腐れ人事と言っても良いような人事。
そもそも、管理職というのは、職場を統括して組織の方向性を見定める能力のある人間を、直近の実績を評価した上で人選すべきものだろう。
しかし、年功序列で年齢に到達したら横並びで昇進させたり、誰かを昇進させるために、同世代か、少し上の年齢のモノに遠慮して同時昇進させたり、、、それって何か間違っていないか?
通常、経営者が居て、その下に大きな枠での部門長が役員として居て、その下の作業単位の課毎に末端管理職の課長が存在するだけで良い筈だし、末端課長というのは、その組織における業務に精通した上で、方向性を正確に見出し、過去の過ちを二度と繰り返さない学習能力が最低限度付いた人間を当て嵌めるべき。
しかし、、、、上辺のトレースしか出来ないような人間とか、いきなり新しい職を担わせると同時に昇進させたりとか、地元の国立大学出身というだけで昇進させたりとか、、、、挙げ句の果てに、組織の構成員の半数以上が管理職とか、、、、それって、何か間違っていないか?
仕事量が減って、非管理職の収入が残業の消滅にともなう残業手当の消滅によって激減するなかで、管理職になると残業時間の有無に拘わらず残業手当が支給される。言ってみれば、これが残業手当みたいなもんだけど、管理職が異常に繁殖すれば、仕事量が減ったにも拘わらず管理職手当が人件費として必要となる訳だ、、、、、
そもそも、御子息が入社とかいう事で、管理職とか役員、経営者の二世が入社試験に来るけど、面接しながら思うのは、、、、コイツを入れるの?っていうのが正直な感想。そして、選考では、これは形式だけだから、、、、という事で実質スルー、、、、それも意味が見えない。
受けさせる親も親なら、入社に抵抗を感じない子も子だ、、、、
大昔を振り返れば、自分が学生の頃、父親がマツダの役員だったけど、死んでもマツダに入るのはゴメンだったのだが、そういう思考回路の方が稀なのかも知れない。
本質を見極められるかどうか?組織での行動が未来を開く礎に出来るかどうか?を見切る能力が管理職に必要な筈だけど、上述の、トコロテン式昇進、年功序列人事で、管理職の方が非管理職よりも多く人件費を圧迫するような組織は、その内、消滅するのでは無いだろうか?
こういう話が見える程、正直、さらにやる気を無くしてしまう。いっそ、全員を管理職にして、管理職手当を90%カットとかにすれば良いのに、、、、
因みに、、、、自分のモチベーションとしては、こんな組織で収益力を保つために、自分が苦労して考えた知恵や知識を提供しようなんて、これっぽっちも思わない。こうすれば収益改善出来て、経営的にもOK!的な事を行っても、結局、意味不明に管理職手当を享受する人を増やすだけなら、なんもせん方が全然OKだと思う。
こうすれば、儲かる的な案や施策は沢山あるし、新しい技術もあるけど、どうも、この組織にそれを還元しよう!って思う事が出来ない。それをしなければ意味無いという人も居るけど、そういう意見を述べる人間が自分でやればよいだけだ。
まぁ、冷静に考えて、そういう人事方針で会社組織が運営出来るとうのは、相応の余力があるという裏返しでもある。組織が再生するには、一度、傾くか、ドラスティックな改革の必要性に経営者が迫られないとだめだろう。
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