« 次のテーマは? | トップページ | クロスバイクにビックリ »

2012年7月30日 (月)

数値

 思いや考えを形にする。そこで大事なのは、数字。
 では、数字を如何に決めるか?

 数字っていうのは、根拠に基づいて選び出す。根拠から数値に辿り着くというのは、数値には意味がある。数字の決め方は、根拠に基づくモノ、、、、そこに、経験的とか、昔ながらとか、伝聞とか、、、、そういう余地は介在しない。数字を決めた上で、修正を行う場合に、経験に基づく数値の修正は有り得るけど、決めた数字を経験的な考慮すべき修正式を加え新しい数字を生み出すだけであり、数値自体を経験で浮かび上がらせるのとは違う。

 惰性、漠然、、、そんなノリで決めた数字から具現化したモノ程、おっかないモノは無い。

 万が一、トラぶったり、物故割れたりすると、、、何をどうしたらよいか?方向性が全く見えないからだ。挙げ句、アホみたいな公差を追求した機械加工を求めながらも、組み付ける時に、思いっきり手作業で修正してみたり、、、、或いは、接触する事の無い部位に、接触時損傷を防ぐ処置を講じたり、、、こうなってくると、何がしたいのか見えてこない。

 そもそも、数値には極値的な正解を求める事が出来る。そして、その理想数値から実用上の容認数値の幅も与えられる。初期値から容認値迄が耐用限度である。耐用限度を過ぎて異常が生じていく訳だけど、その異常性が耐用幅から、どの程度外れたら、どうなる?っていうのがあるわけで、その段階毎の事故予防の施策を講じるのが設計では必要な事。

 つまり、理想値、容認値、限度値、、、、、それに応じた対応が物作りには必要なのである。 しかし、理想値の決定が根拠伴わないものであれば、そういう発想自体が生まれない。結果、何が起こるか判らない事態に陥るのだ。

 機械加工における加工の出来上がりの分布の原則、その辺を理解し、理想値を含む初期値の幅に仕上がりで何%入りうるか?を考えて公差等を決めていくのだが、その公差で闇雲に精度を追求する思想があったとすれば、それは、物作りにおける常識的な理念が欠如しているとしか言い様がない。

 最近は、数値決定に意味を考えて満足に出来ない設計者が内外に多い気がする。

|

« 次のテーマは? | トップページ | クロスバイクにビックリ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 数値:

« 次のテーマは? | トップページ | クロスバイクにビックリ »