ファイナルスパン
干支であと一回りしたらリタイヤの時期。
この干支一回りっていうのが、何かする上での単位的なものと昔から考えている。
学びの12年が学生時代の前半、探りの12年、これが大学教育と社会勉強、貢献の12年を経て、最期が、集大成の12年、、、こうだろう。
振り返れば、最期の12年に突入するまで、残り僅かとなってきた。
最期の12年を如何に過ごすか?
これは、結構考えるところが大きい。
色んな事を行ってきて思う事、、、、それは、現世代が新しい何かを生みだして、次世代へ残す事が大事、、、と純粋に思う。
で、新しい何かを生み出すのは、既存の知恵の上に成り立つモノ。既存の知恵から未知の知見を切り開く事、、、純粋にそう思う。分野、内容、難度は関係無い。目的行動を行う上で知見というかアイデアというか、そういうモノを生み出すという割りと有り触れた話だ。
でも、何かを生み出す、真似でなく生み出す、、、これは、何にしろ大変なモノ。サービスだろうが、コツだろうが、仕事の手順だろうが、技術だろうが、製品だろうが、何にしろ大変なのである。
因みに、何かを生み出すというのは、偶然の産物ではない。やはり、手順に従って生み出すのだ。モノや事象の歴史から変化の決まり、法則を見出し、予測する。予測が的中して未知なモノが新しい知見となり、次世代の知恵として役立つ、、、そう思う。
因みに、教育というのは、事象を様々な分野に分類して、若い世代に理解しやすい、関心を持たせ易いような工夫の結果である。どの科目、ジャンル、分野でも良いのだ。どれかに関心を持たせるために、細分化されているのである。
どんなジャンルにおいても、そこには、流れが存在する。流れには、関心を惹き付けるような好奇心を刺激する紹介、そこで先人見付けた基本的な知見の紹介、そして、内容の進化の歴史の提示と、その流れから次を生み出す上で必要な方法の紹介、そして、方法の実践による方法論の取得を経た頃に社会に出るという流れが作られている。
どんな科目でも、その意味が把握出来れば、分野や科目を越えて、その共通性が見えてくるし、問題解決の方法、未来予測の方法が自然と判るようになるのである。
本来、教育とは、そういう流れを掴ませる事であり、知識を詰め込む事ではないのだ。
知識を詰め込む事というのは、教える事とは異質なモノであり、社会を構成する人が世代毎に新しい知見を生み出す力が強い程、活力ある社会の原動力となるのである。
三十路の頃迄塾講師を行い、その後、企業で新人講習や面接を経て思ったのは、大事なのは、新しい知見を生み出す力を持つ人を作る事のような思いが強いのだ。
正直、この事は常識かもしれないが、これは自分的には大事な事に気付いたように考えている。この思いは、ここ数年不変だったりする。その思いに従って活動すべき時期が今なのかな?という思い抱く事が最近多い。
正直、今の実力では、自身で何か新しい知見を作り出すには、やや不十分、、、、、しかし、この考え方を若い世代に早い内に真に伝える事が出来れば、自分が出来なかった事が次の世代が実践出来るような期待を抱いてしまう。少なくとも、自分の子供には然りだし、出来れば、今の子供達に伝えてやりたい気がする。
| 固定リンク
コメント
こんにちは!コメント有り難う御座います。
生きていくと色んな事を考えますね!
出来る事をやる?やるべき事をやる?色々です。
色んな事を考えますが、使命は何か?を常に考えて行動したいですね!
投稿: 壱源 | 2012年8月23日 (木) 13時37分
こんにちは^^興味深く拝見しました。
私は、占術を勉強していて「周期」バイオリズムなどについてもおもうところがあります。
12年というのもありますよ。素晴らしいと思ったのは、その周期によって自分を変化させ、次を考えているという壱源さんの考察力です。
今の日本の現状は厳しく、夢さえ持てずに自殺される方も増加する一方・・・。
若い人たち、小さな子どもたちの教育、学校以外での真の学びの必要性を感じます。
私もまだまだ勉強が必要ですが、自分が何を伝え、子供たちの将来に役立つのか模索中です。
頑張ってください!!
応援しています。
投稿: おまめ | 2012年8月23日 (木) 10時43分