洞察力
先日、ある人から脚が痺れるとか、手首が痺れるとか、そういう不調の相談をされた。
まぁ、医者と違うから、素直に病院に行けば?って解答になるけど、痺れとか、凝りとか、、色んな不調は誰にでも経験があるはず。
そんな不具合、不調が突然気になり始めたら、普通は、最近、何か変わった事したか?新しい事始めたか?を振り返り、その関連を考えていく作業をするのは普通。
自分の場合、筋肉痛、関節の違和感、、、そういうモノは、継続して行っている日々の運動のメニューを変えたかどうか?新しい事何かしたか?を考えて、因果関係を探るのは、極自然な事と認識している。
これは、自分の身体に限らない。自転車、単車、車でも然り、、、、チョットした違和感、それは何時から、何故に、最近、何か変わった?を考えながら、故障がドツボになる前に対処っていうのは少なくない。
同じように、機械や装置も然り。その違和感、不調の兆候っていうのは、大抵は僅かな異常状態から察知出来るし、それに到った結果を見ると、その原因をある程度見定めて、同じ異常が同じスパンで訪れる事を防ぐ対策は普通に打っている。
大事なのは、違和感の察知、違和感を生み出す結果の因果の類推、そして、類推した因果の解明と対応というものだけど、これらに必要なのは、何よりも洞察力、そして、分析して対応を打つ発想。
洞察力と分析力、発想力というのが大事
因みに、身体の不調を訴える人の生活パターンを見ると、身体を鍛える?という意思で、第三者の運動方法を見様見真似で同じ負荷強度を同じ様に試みて陥る人が居るけど、真似して同じ事屋って、同じ結果が得られるか?は、自身への洞察が圧倒的に不足しているだけ。
自転車、単車~機械、装置の故障に対する対策でも、対処療法的な対策に終始する人や、人からの伝聞や、或いは、故障診断、解析ソフトの結果だけで対策を講じても、それが有効な手立てとして機能するか?というと、99%は不可能。
そんなモンである。
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