キャラクターの根底
自転車のカテゴリーというか、キャラクターを決めるのは何か?
自分の場合、スポルティーフが好きだけど、例えば、スポルティーフを決定づけるのは何か?
これ、スポルティーフに限らず、ランドナー等々でも言える事だけど、用いているパーツというのは、あくまでも付随的な要素で、決定的な要素にならない。
ロードバイクにフェンダー付けても、キャリア付けても、、、、それは、スポルティーフに非ず、、、
結局何?っていうと、やはり、車体そのものだろう。自転車ならフレームのジオメトリーに帰結するような気がする。
用途があって、用途にあった骨格が決まる。この骨格こそが自転車のキャラクターを決定づける。
その骨格を、如何に創るか?何を使うか?そして、用途に応じた時、何がベストの選択か?の妥協を廃したもの程、純化したキャラクターを持つ事ができる。つまり、そのカテゴリーへの特化度合が高いということ。
昔の自転車なら49,800円の中学生の通学自転車でBSならロードマン、ナショナルならタムタムロード、ミヤタならカリフォルニアロードなんて車種があったけど、タイヤ細くしてスポルティーフにならないし、泥除け外してもロードにはならない。バッグを装備してもランドナーとは違う。
それは、、、どうやってもロードマンなのだ。
同じように、どんなに高級なロードバイクでも、キャリア+フェンダーでスポルティーフにはならない。どやっても、、、フェンダーアタッチドロードレーサーに過ぎない。
固定シングルギアが付けばトラックレーサーとはならないのと同じ。やはり、フレームありきだろう。
現実、自分も自転車趣味に回帰して、スポルティーフに憧れて、、、小林ロードフレームにセンタープル+フェンダー付けたり、シルクR2-4に同じようにセンタープル+フェンダー付けたりしたけど、、、やはり、ダメ、、、、心が許さない。
結局、ルマンのスポルティーフのチャンガラをレストアし、最終的にはTOEIのスポルティーフフレームで創っている。そんなもん。
どんなに、真似ても、、、出来たモノは違う、、、、何故?それは、骨格が違うから。如何に部品で体裁を整えても、、、、全くダメ、、、、そうなんである。
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