二年経った
あの地震から二年経った。
あの日は金曜日、帰宅中、車のテレビのニュース映像を最初に見た時は映画のワンシーンか?と思う程だったけど、それが現実の映像ということで、驚きを隠せなかったのを思い出す。
当時の記憶を遡ると、やはり津波による甚大な被害が印象的だが、時間の経過と共に、恐怖感を強く感じるようになったのは原発爆発による放射能汚染である。
津波は多くの財産と人命を奪った一方で、原発爆発に伴う放射能汚染は直接的に人命を奪った報告は無いが、今となっては、津波や地震のような自然災害は、あの時点から歩み出す事が出来る一方で、原発の放射能汚染という人災は、あの時点から歩み出したとも言えず、未来が描けていないのが現状。
製造業的にはエネルギーコストの問題から原発再稼働推進の意見が多いけど、何かあれば、過去や現在だけでなく未来、見通し迄も全てを奪う原発というのは、個人的には充てにすべきエネルギーでは無いように感じる。
少なくとも、原発の深刻事故で半径30kmとか、下手すれば東日本全体が住めなくなるようなリスクを負うべきでは無い。深刻事故が発生しても敷地内だけで被害が漏洩しないスケールで、原発電気を利用したい企業が工場内、本社内に小型原子力発電所でも抱えるのなら止めはしないが、、、個人的にはそう思う。半径10km程度の敷地を企業が有し、その真ん中に経営陣の陣取る本社ビルと小型原子力発電所が一体となったような構造で安価と思う電気を作って生産活動して企業経営をすれば良いのとは違うだろうか?
それと、汚染された地域の除染が遅れており、遅れている理由は、中間貯蔵施設、最終処分場の見通しが立たないからだとか、、、、実際、除染は不可能で、行っているのは移染に過ぎない。下手に汚染されていない地域に分散させるのは、ホントに正解か?と思う。
汚染廃棄物を受け入れる地域、、、現実的に考えて、そんな地域を皆無だろう。絶対に地域住民の同意が得られるとは思えない。
事故直後には、放射性物質を吸着するようなゼオライトとか、或いは、そういう物質を吸収濃縮する植物、細菌等々の開発云々を期待したりしていたけど、これ程までに広範囲に散らばった放射性物質を集めるというのは、正直、実質不可能という印象。
散布したりすると簡単に危険度を下げるような中和剤とか、そういうものでもあれば良かろうが、、、、逆に言えば、そういうモノが出来ればドンドン平和利用で原発を増やしても良かろうに、、、と思ったりする。
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コメント
こんばんは。2年という月日が長いけれど、原発事故による事態は殆ど改善の兆しを見せていないように見えます。
原発、反対ではありませんが、前提として今回のような深刻事故が発生したとしても、速やかに現状復帰出来る技術を作ってからという条件が必要だと思います。
仮に、放射能を撒き散らしたとしても、速やかに回収でき、仮に、人体等生物体内に入ったとしても、速やかに除去できる技術があるのなら、原発は大いに結構だと思います。
但し、後始末が出来ないならば手を出すべきでは無いというのが私の意見です。
全くの夢物語かもしれませんが、放射性物質が放射線を出すという特徴を持っている限り、それと相対する何か未知の現象があるように思います。自然界の摂理として、全ての事象は、相対するセットがあるはずであり、やはり放射性物質の世界にも未知の何かがあるのかもしれません。
案外、既知の知見で放射能レベルが低下して廃炉するという方法よりも、新しい知見で、例えば、放射性物質の半減期を加速させる仕組み等が発見されれば、短時間で無害化できたりするかもしれません。そういう新しい知見で思ったより早く解決されるかもしれません。
この世界の知見が深まるように知恵が結集することを望む気持ちが一番大きいですね。
投稿: 壱源 | 2013年3月12日 (火) 00時05分
こんばんは。異論ございません。普通の人が普通に思うこと、願うことを代弁してもらっているように思います。個人として、企業として、政治家として、国を背負うものとして思いや考え方は色々あると思います。立場立場で言えることと言えないことがあり、難しかろうことは何となく分かるんですが、絶対に走って欲しくないのは目先の欲です。その時が良ければという考え方はやめて欲しいものです。
日本国民一人一人がこれから先の生活で不自由覚悟で臨めば、乗り切れることはたくさんあると思います。今のままの豊かさを物質的に求めるのを悪いとは思いませんが、無くてもいい豊かさというのもあるように思います。私が偉そうに言うのは甚だおこがましいのですが、日本人の美徳って何だったかなぁって・・・教育も含めて社会人みんなで考えられたらいいなと思います。
投稿: lucky | 2013年3月11日 (月) 20時22分