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2013年4月10日 (水)

不要ってか拒否に近い、、、

ここ十数年の意識だけど、部下とか役職っていうのは不要、、、いや、不要というよりも拒否に近い。

チームプレーとか、後継者を育てるとか、組織では必要な事なのは認識しているけど、チームプレーとか後継者とか、そういうのは価値観であったり、意識であったり、或いは、潜在性、方向性といった様々な要素が或る程度の範囲に収まった集団における認識では無いだろうか?

そういう範囲から解離した存在に対する扱いは、組織における鬱等の長期休業者の発生率を見ていると、結構興味深い傾向が判る。

雇用者の内、鬱等による長期休業者の割合は約0.2%が平均。500人に1人程度の割合だろうけど、組織によっては、その割合が5~10倍に達するような組織もある。

そう言う風な平均から懸け離れた組織というのは、やはり、組織の意識、価値観に対して相容れない人に対して、或る意味、攻撃性を持って接していると思う。つまり、こういった組織は、そういう人達をチームとして迎え入れるという事を半ば放棄しているのであり、そういうチームプレー、後継者養成を放棄しているような組織に属する側は、或る意味、チームプレーや後継者養成を重要視する事を大威張りに説く資格は無いとも言える。

別に自分の考えを正当化するつもりはないけど、個人的には自身の行っている事が業務であるとするならば、その業務に対するチームを構成する部下であったり、指揮命令するための役職というのは一切不要だと考えている。

何をするか?の分野を選ぶ事自体、自身で状況判断した上で選択するモノで、分野における実作業自体も日々刻々と変化する状況で自身で選ぶ場合が多い。作業ターゲットを選んだ上で、実際に具現化する過程を見ても、そこで何をどんな風に進めるか?も、その瞬間にならないと正直見えないし、当然、結果も見えない。そこで必要な知識にしても、ハッキリ言って、その瞬間にならないと判らない類のモノ。
閃きを具現化する。具現化には知っている知識を総動員して形にする。という大雑把な事しか言えない。そして、その対象は毎度変化するモノだったりすると、、、、作業自体を誰かに任すと言う事も考えにくいし、考えるプロセスにおいて、どんな知識や評価を使うかも毎回異なるモノ。そういう面で、誰かを指導したり、或いは、同じ考え方が出来るように育てろと言われても、、、正直、無理としか言いようがないのである。

少なくとも、同時に同じように考えて、対案となるようなアイテムが発想でき、発想を具現化する過程において、議論を叩かせ合う事が出来る対案を生み出す事が出来ないとチームは組めないし、何かを発想する、何かの問題を解決する際に、既知の知識のみならず、知識の使い方を知って問題解決の道筋をデザインできるトレーニング、言ってみれば、卒論とか修論を、起案から実験、考察まで自分で作れるような素地が無いと難しいかな?というのが本音だったりする。
そういう価値観とトレーニングを積んでないとすれば、その社会に出る以前の教育迄を今の時点で施す事が必要ということで、その部分自体は企業組織において行うレベルとは異なるように思う。

組織によるけど、どんな組織にも格というものが存在する。

格に応じた活動というのが組織には大事であり、格違いの活動を夢見ても、それ自体は非常に困難なのである。背伸びは禁物なのだ。

そう言えば、就職活動は四月から的なニュースがあったけど、社会に出る人が企業を選ぶ際には、自身の格と企業の格をしっかり対比する事が大事。例えば、理工系において論文をバンバン出し、学会で活躍するレベルの学生は、従業員1000人以上で市場において革新性を常に提案するような企業を選ぶべき。逆に、大学卒でありながら胸に手を当てれば判るだろうが、勉学は程々に、バイト、部活、サークル活動に明け暮れて社会勉強と思う学生は、従業員でいうと500人以下、同族とか、革新性の無い企業に入る方が幸せだろう。
革新性、発展性が乏しいというと、企業の沿革を見て、製品が50年前と変化していない企業等とか、マーケットにおいて拮抗したシェアを持つ企業が存在しないような企業等が該当する。会社案内等を良く見れば案外判るものである。
格の上の組織に入ると、或る意味、付いていけなくなるだろうし、、、格下の組織に入ると、妬み的な感情や、全てを指示して行う事から逃げられなくなる。

個と組織の格のミスマッチは、余計な労力を払うリスクが高まると言える。

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