首都の風水
先日の記事で、広島県における自治体と住民の対立として、鞆のトンネル問題とか、高速5号線のトンネル問題を取り上げた。
身近な問題としては、高速5号線のトンネル問題で、賛成意見、反対意見双方の言い分や対応を見る限りにおいて、どちらか一方に完全に同意出来るモノではないというのがスタンス。
まぁ、その賛否は別として、チョット面白いサイトを見つけた。
それは、風水から見た都市感、日本で首都機能を有した都市を風水から見た観点で論評されているサイト。
そこで取り上げられているのが、東京、京都、そして、、、広島。
http://www.eguchi.co.jp/ienet/Fusui-kaso/tosi.htm
まぁ、広島の都市形態、広島城、厳島神社、明星院、二葉山、三滝山、阿武山、広島湾の並びについて解説してあるもの。
まぁ、昔の城下町における立地が、国毎に、そういう観点で作られているというのは、首都というよりも、地域統括の地として、そうなっているという解説だが、なんと、広島は過去において、首都機能を有していた期間があるという。
Wikiによると、
『日清戦争中の1894年(明治27年)9月15日から1895年(明治28年)5月30日には、広島県広島市に置かれた大本営(→広島大本営)において、明治天皇が直接戦争の指揮にあたった(広島大本営は翌1896年(明治29年)4月1日に解散)。1894年(明治27年)10月の第7回帝国議会は広島市で開催されている。立法・行政・軍の統括が東京から広島に移転していたことになり、この時期は広島が一時的に首都機能を担った。』
とあるのである。
考えてみると、広島の都市形態の未来像を聞くと、このような知見の上で作られた過去の都市形態とは随分と異なってきているようだ。広島の都市中枢は広島城界隈を核として配置するという事から考えると、未来は都市の相対的地位はドンドン低下していくのでは?と思ったりする。
http://futabayama.com/futabayama$i/nakamura.html
都市の風水というと、広島の再開発の形態は、この風水からはドンドンと懸け離れていくようだし、利便性向上のために二葉山を貫通させるというのも風水的にはNGなんだそうだが、案外、再開発完了した時の都市の行く末を見ると、風水がどうか?の判定も出来るの?と思ったりしている。
まぁ、これは単なる迷信というか、気のせいと済ませるべき事かも知れないが、、、最近は未解明な事を否定するのではなく、未解明な事は単に解明されていない何かが潜んでいると考えるようになったから、、、
その切っ掛けは、そう、東日本大震災だったりする。
東日本大震災というと、それを暗示したSBIの社長さんの年始の挨拶だったり、或いは、解釈次第とも言えるけど、 『地球核力激震10年 2004~2013年―180年暦が映し出す鮮明な未来 ( 陰陽自然学シリーズ): 飯田 亨』なんかを見ると、何か、そんな気がしたりするのである。
案外、現代の常識、理解とは違うところで何かが影響しているのかな?なんて考える今日この頃、、、、特に、この8月は、なんだか嫌な予感、、、
話が逸れていくので、この辺で、、、、。
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