日曜劇場「半沢直樹」に思う
今回の夏ドラ、半沢直樹がブッ千切りの様相。
自身も生い立ちを重ねて見られるので嵌っている。
自身はバブル末期の1991年入社、勤め先は超保守的な製造業。それ故に、銀行員の姿とは全く異なるが、製造業に従事するモノのポリシーとして、良いモノを作る。嘘は付かないをモットーに仕事をしてきた。就業年数の内の1/3程度を国策補助事業を行っていたので、嘘、改竄は一切無しで行ってきた。
しかし、企業内の定型業務の支援の中で請け負う業務によっては、そのポリシーに反する業務命令を受ける事もしばしば、、、その都度、ポリシーに反する事の反社会性を理由に上司、経営者に経営や命令に対して、或る意味、反抗してきた。具体的に言えば、改竄とか偽造、偽装、他社の知的財産権の侵害による模倣等には手を染めないのが拘り。この部分ではNHKの『7つの会議』にも嵌るが、、、
まぁ、結果としては、やってはならない事であれ業務命令ならヨシとする大多数の管理職とは距離を置いて過ごしているし、それはコレからも変わらない。
やはり、ポリシーに反する事には正面から意見出来るというのは人間として一番大事だ。しかし、それに拘ると、それが出来ない、或いは、強きに寄り添う連中からは、当然の風当たりや攻撃を受ける事はしばしばだ。勿論、その理不尽な攻撃に対しては、半沢直樹では無いが、勿論、やられたらやり返す。ただ、方法論としては、やられた事は永遠に忘れない。何年掛かっても蛇の如くやり返す。言ってみれば、絶対消えない『殺すリスト』に登録するという方法だが、それは、モノの作り手として生きているということは、自己の知識によって論理的にも道義的にも正義の通るモノを生み出すには時間が必要で、それを武器に立ち回るには、やはり瞬間的にやり返すという方法が採れないからだ。
まぁ、半沢直樹のように明快に切れ味鋭いようには進まないが、基本は同じだろう。
バブル末期に社会に出た層とは、どんな層か?
確かに、就職活動で苦労はしていない。しかし、バブル期に企業内で贅沢を満喫出来た層とも違うのである。バブルの恩恵自体は、就職活動が楽だったというくらいだろう。
そもそも、バブル期は大学生活なのだ。まぁ、大学生活自体が派手だったのは間違い無い。
裕福な家庭の家庭教師契約では、一人で月謝10万円というのもザラだったし、自分の場合は、裕福な家庭の教育熱心な保護者の御陰で設立した塾でも生徒を大量に集める事が出来た。当時、塾の月謝で28000円を徴収していたが、総生徒数は100人を軽く越えていた。それを学生で分けて運営していた訳で、裕福でないといったら嘘になる。
しかし、この時代の大学生はセンター試験になる前の共通一次世代だ。国公立大学への入試のチャンスは1チャンス。しかも、共通一次では5教科7科目受験、更に、倫理・社会と政治・経済の選択組み合わせは教科書が薄い同士故にNGなんて決まり。
当時から受験産業に携わっていたから良く判るけど、日本の歴史の中で授業で教える量が最大期の時代でもある。もろに学歴社会、学歴重視の時代、、、それ故に、落ちこぼれ連中の校内暴力が中学時代に爆発した世代でもあるのだ。この世代の中学生時代というと、そう、3年B組金八先生世代なのだ。
そういう、受験戦争、詰め込み教育世代でもあり、常に、周囲との競争が求められてきた世代でもある。そして、競争に勝ち残れば、相応の報酬、贅沢を手に入れる事が出来た世代でもある。
当時を振り返ると、受験戦争に勝ち残り、最低レベルで国立大学以上に残れば、学生ながら、或る意味贅沢三昧な生活が可能であり、何の苦労もなく好きな企業を選ぶ事が出来た時代なのだ。
勿論、競争というのは勉学関連に限らない。何でもかんでも、直ぐにブーム、ムーブメントが沸き起こる。そして、そこで楽しもうとすれば、非常に高い競争率をくぐる必要があったのである。何でもかんでも、直ぐ競争、、、そういう時代を生きた世代なのだ。
更に遡れば、これらの世代の幼少期は日本の高度経済成長期と重なり、物心付き、好奇心に併せて世の中に新しいモノが次から次へと現れていた時代であり、時代の急激な進化を多感な時期に感じとっていった世代でもあるのである。
つまり、その前の世代から見ると、この世代の思想の変化のスピードに付いていけず、上の世代の連中は、この世代の事が理解出来ないが故に『新人類』と呼んでいたのである。
新人類、1960年代生まれの世代だが、特に東京オリンピック以降に生まれた世代が、学生期バブル満喫組、校内暴力体験組ということだ。
そういうバブル学生、バブル後入社世代というのは、競争慣れしていて、非常に好戦的な世代でもあるだろう。それ以前の村意識的な世代とも違うし、それ以降のゆとり世代とも違う。非常に上昇志向が強く、好戦的で、負けず嫌い、そして消費意欲が強い世代なのである。消費意欲の強さという面では、現代のマーケティングにおいて1980年代をターゲットにした商品やCMが少なくないが、この世代の多感期を回想させる事で消費行動に走らせようという意志が見え見えであるのが笑える。
あと、追加だが、半沢直樹ブームで、この世代のサラリーマンの代弁云々って話があるが、この世代は二種類存在する。競争の激しい時代故に確実に存在する少数の勝ち組と大多数の負け組、、この分類で、大きく立ち回り方が変わっている筈だ。勝ち組は少数だろうが、そういう連中は間違いなく、勝負を仕掛けている筈。大多数の負け組は、恐らく、番組アンケートに答えるように、半沢直樹的に振る舞ったらクビだ!と言っている側だろう。勝負に挑む側というのは、立ち回りに使えると信じている武器を持っている、、、、と、個人的には思う。
その背景が、半沢直樹にも伺えると思うのは自分だけだろうか?
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