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2013年11月23日 (土)

大学での教育の意味

大学での教育、、、基本的な学問というのは小中高迄だろう。大学教育というのは社会で実践するのに役立つ教育というのが理想論。
理想論とは言っても、大学の価値というのは就職出来るかどうか?であり、企業からのニーズにあっているか?は大学運営で応える上で必要な事項である。

言ってみれば、大学での実験、ゼミ、テーマといったカリキュラムは時代に即応しているかどうか?が大学の価値であり、大学自体は、時代毎の要求に合わせたカリキュラム作りを何時の時代でも行っている筈である。つまり、ある時代の大学生というのは、卒業後の30年程度で役立つ知識が与えられているといって良い。
そして、企業は、時代毎の学生を取り入れる事で、時代にマッチした企業活動が続けられていけると言う事。
優れた企業というのは、徐々に新しい世代の人材を登用し、先輩の築いた組織の伝統と伝承を新しい知恵と知識を持った人材の上に積み重ねる事で企業人を作ることで組織の代謝が図れているのである。

逆に言えば、企業において代謝を拒み、企業活動を特定の人間が非常に長期間にわたり仕切続けて新しい考え方を排除し続けると、特定の人間が社会に出る前に学んだ価値観に縛られた企業活動しか出来ないと言う事にもなる。

つまり、定年制度とか、世代交代というのは、企業が時代似合わせて生まれ変わるには必須な組織存続のための本能的な代謝行動なのである。この世代交代をせず、超高齢のスタッフが牛耳り続けると、企業は時代に適応出来ない価値観で歩み続けざるを得ないということだろう。
現時点において、経営判断に直結する案件を70~90歳で決めているというのは、彼らがバリバリの40代であった時代、30~50年前の1960~1980年代の企業活動の理念のままの活動になりかねないとも言う。そう考えると、一流の企業人というのは、組織の発展に必要な知見を新しい知識の上に積み重ねて進化させるという事を念頭に、自身の引き際を鮮やかに、そして後輩で次代を託すという事が出来る人と言う事だろう。
そういう意味で考えると、、、、本田宗一郎氏というのは、やはり偉大である。

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