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2014年3月25日 (火)

迷走、、、、

開発体制、組織を有しない企業で、実績も知識も無い状態で研究開発を行いたい、、、冷静に聞くと、それだけでアウトだろう。但し、そういう意欲を持って余所から刺激を受けて意識が高揚するというのは理解出来る。
しかし、そういう組織で、そういう意志表示を行ったとして、物事が進むか?そして、開発ターゲットが純粋に市場競争力を持つようなモノに開花するか?というと、その可能性は限りなくゼロに近い、、、っていうか、ゼロだろう。不可能である。
そもそも、研究開発で新しい知見を生みだして商品に辿り着く、、、それには資質を持った人材、その人材が組織的に活動できる環境、風土が備わって、それに掛ける経営者の資本が無ければ不可能であり、それであっても千三つの可能性に過ぎない。
素人が願望だけで、一人で取り組んで完成する、、、、なんて、絶対に有り得ない。
しかし、その願望を持つ事は自由だし、それを目指して活動するのは自由だが、それに向けた取り組みというのは、それを志す人間が地道に一歩一歩進むしかないのである。それ以外は有り得ない。
その志に賛同者を得ようとすれば、最低限、花開く可能性のある種を有していなければならないが、その種も、唯一無二の光る何かが必要なのは言うまでもない。そして、その種を見つけ出す事も簡単ではないだろう。
その種さえ無い状態で、己の願望を他言しても誰も付いてこないし、呆れられるのが関の山だ。
ただ、その種となるモノを生み出すのに必要なのは、組織でも資金力でも無いのも事実である。その種というのは、個人の着眼力、発想力に大きく依存するのも事実なのだ。
その種が無い限り、物事は前に進まない。そして、その種を見付けるのは、割と自由に行えるのも事実である。しかし、それは種であり表だって行うモノではないのである。

将来、花開く可能性のある種を見つけ出し、その可能性に一定の評価が集まって初めて、声を挙げる事が出来るものである。こんな組織で自分の活動の世界を作る事、それは、その種を見つけ出す事から始めるのが自分の世界を作る第一歩となる。

種を見付ける、、、簡単なようで難しい。色んな学会で小難しい話しを聞くのも否定しないが、そんな所で難しい話しに感化されても、決して種は見つからない。それが現実。
人の話を聞いてパクル、、、、そんな意識があるようではモノになる訳無いのだ。
色んな学会、研究成果、他者のテーマを見ても何の役にも立たない。そんなモノは、担当して来た人が到達した結果であり、結果に感銘を受けるというのと種を見付けるのは別次元の考えである。
大事なのは、研究や開発に打ち込んできた人が、その結果に到る経緯、切っ掛けを如何に手に入れたか?である。その部分は成果発表会とか学会では出てくるモノではない。
その切っ掛けが大事なのである。
問題の着眼が何よりも重要なのだ。

その着眼能力というのは、基本は各自の職務、経験における挫折とか失敗であることが多いのだが、そこで諦める人には恐らく着眼は出来ない。挫折や失敗を乗り越える気概こそが着眼に繋がるのである。

正直、プロジェクトに参加して、撤退したといって撤収に乗るような考えでは、恐らく、育て上げるに値する種に行き着く事は不可能だろう。

種の難易度よりも、種を開花させる手順を修得しているかどうか?が、そういう歩みが出来るかどうかの分かれ目である。
手順の会得が無い状態で、知識ばかり書物で詰め込んでも、それは全く使い物にならないのだ。その辺に気付く事が出来るかどうか?が、迷走から脱却出来るかどうかとなろう。

企業内において、種を見付ける活動時間が得られるかどうか?も現実は厳しい。その現実の中でそういう活動を行おうとすれば、少なくとも、何某かの実績を一定の間隔で外にアピールして、『あいつは何やってる?』と言われない環境整備が必要なのも言うまでもない。小さな実績でも良いから、一つずつ出して、何か違う!という評価を得られるような努力が無ければ、種を見付ける活動さえ組織からは許されないものである。
そういうプロセスを経て、自分の世界を作る事、、、、これが最初の難関でもあるだろう。
この種を見付ける時間を確保する取り組み、そして自分の世界を得る事。これが体制の無い組織で最初に行うべき取り組みなのだ。段階を追う事をすっ飛ばして主張しても誰も聞かないのである。

まぁ、手順に従って何かを生み出すという開発的な行為を行わないのであれば、そういう資質云々は不要かもしれないが、、、個人的には、どんな職種であれ、そういう手順が無ければ遭遇するであろう障害を本当の意味で乗り越える事は不可能だと思う。

ルーティーンの業務においてもトラブル対策が対処療法的な事しか出来ないだろうし、それ以外の解答がある事さえ気付かずに一生を終えるのだろう。ちょっとした事でも源流的に対処できるかどうか?は、やはり手順の会得が出来てるか次第なのである。

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コメント

こんばんは。そうですね、、、
日本の最近の空気感が新しいモノを泥臭く生み出す事に向かないようになってきたように感じます。

パクれるものはパクレ、、、取り敢えず、儲かればOK、、、、手間掛ける事は格好悪い、、、、

そういう価値観、便利=時間短縮という価値観が蔓延していると、こういう世界が育まれない気もします。

投稿: 壱源 | 2014年3月27日 (木) 23時59分

そうですね。壱源さんの言葉に沿うと、種1000個のうち花開くのは3個程度で、種はある程度育ててみないと見極められない。見極めずに当たる確率はゼロに近いだろう。

見極めるには、ある程度の専門知識と時間をかけて実際に試すしかない。そこを端折ったら花開くのは無理だろう。米国の組織とは独立した環境のいいところは、それは試した、だめだった、という情報が蓄積しているのではないかと思われるとこです。そういう無形のサポートが成功例を加速しているのではないか?

そういうサポートのない日本ではどうするか?結局、平均すると300個のプロジェクト(種)を回り道せずに試してみるしかないのかな、、、そうすると1個くらい花開く、、、その覚悟と蓄積のある個人とそれを許す組織が必要ですか、、、

投稿: とおりすがり | 2014年3月27日 (木) 17時13分

こんにちは。コメント有り難うございます。
何か新しいモノを生み出すには、周りの仕組み、耐性、それから、携わる側の資質、これが揃わないと難しいですね。

どちらか一方が掛けても成就する可能性は無くなるように思います。

こういう世界、カッコイイし憧れる人、組織は多いですが、それが実践出来るようになるのは、人も組織も、回り道しない手順の重要性を理解し、それを身に付けるための積み重ねが必要ですが、その辺が会得出来た人や組織もまた限りなく少ないのが現状かもしれません。

この現状は、社会の空気から生み出されているようで、現状を変えるのは、なかなか難しい気がします。

投稿: 壱源 | 2014年3月27日 (木) 07時49分

壱源さん、こんばんは。

その通りですね。個人の資質・発想。そして、そういう個人を刺激して育む環境(情報交換の場も含めて)が今の日本・日本文化・日本の組織に欠けているような気がしてますが、、、

アップルなどを見ていると、米国も”囲い込む”組織は日本より酷いですが、同時並行的に個人の発想を刺激するような環境も組織とは独立にあるのでしょう。

それでも、成功は0.3%程度でしょう。そこで、無駄や失敗を許さない組織しかない日本では、99.7%の失敗を試行・実行する”別”環境がないから0.3%の成功が生み出されにくいのでは?結局、人間は失敗を繰り返さない限り成功に至らないないのではないでしょうか、、、そんな気がしてます。

投稿: とおりすがり | 2014年3月27日 (木) 01時52分

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