« 夏なのに大陸の高気圧 | トップページ | 次期アルト »

2014年7月30日 (水)

全自動化

 最近の車、運転補助と称した操作への機械への介入が著しい。
 単なる補助という面で、パワーアシストステアリング、ブースター付きブレーキ、、、この辺りなら理解出来なくもないが、、、便利な機能としての発端が、運転者を信用しないという雰囲気に変わりつつあるような気がする。
 初期のクルーズコントロールと称した速度保持補助装置ならいざ知らず、最近では車線保持も殆ど自動で行えたりするし、近接物体を検知して自動的に制動動作に入るスマートアシスト制動装置、意識外かもしれないが、アンチロックブレーキというブレーキロックを回避するABSも然り、TCSという駆動力過剰による空転防止補助、制動力不足のブレーキ操作を検知して制動力を高めるブレーキアシスト、横滑り防止と称したESC、、、電子デバイス満載である。
 これだけではない、オートマチックも高度に進化しているし、途中のブリッピング動作も全自動、当然2ペダル式、、、、
 各自動車メーカーの先進システムの紹介では、運転者の操作は不要で車が勝手に、、、という方向性が数多く見られる。

 こうなってくると、果たして、ドライビングプレジャーって言葉は成り立つのだろうか?何にも付いていない、マニュアル基本で操作する車の方が、操っている感が高いのは当然だし、その操作が上手くできた時の感覚は、最近の車では味わえない気もする。

 これ、車に限らず、単車の世界でも然り、或る意味、高機能ロードバイクの世界でも然りだけど、道具が高度に進化しすぎると、使い手の知恵が発達出来なくなるような、そんな気もする。道具を進化させる側の人の、進化させるための術は進化するだろうけど、そうやって与えられたモノを使う側には、殆ど操作の自由度が与えられていないし、選ぶ目線も操作の自由度が奪われて高度に自動化されたモノを、高機能という判断で選ぶという価値観は、モノの持つ本質を見えにくくさせているような気もする。

 モノの操作の際の手間の無さ具合というのと、モノの本質というのは基本的に無関係では無いだろうか?上手くも、下手にも使え、使われ方は使い手次第、、、そして、上手く使えば非常に満足度の高い、優れた機能を提供してくれる、、、、そういうモノの方が個人的には、好み。そして、使い手の試行錯誤を、どうにでも受け入れてくれるような操作の巾を容認しているようなモノ、更には、どんな操作に対しても、返ってくる応答が使い手に判りやすく、尚かつ、穏やかに操作の修正を受け付けてくれるような、そんな性質の機械が好みだ。
 絶対性能、全自動的、、、それよりも、懐の深さ、奥深さ、、、、こっちの方向が好みだ。

 懐の深さ、挙動の判りやすさ、、、、というのは、基本構造が極力シンプルで、尚かつ、シンプルな構造の持つ性能を、構造なりの限界迄しっかり提供してくれるような信頼性の高い作りというのが答えだろう。
 簡単な構造ながらも、その構造を作り出す要素が手抜き無くしっかり作ってある、、、そういうのがベストだ。

 複雑な機能ながら、コスト管理を徹底し、制御範囲内での最低保障性能しか想定しないような限界設計では、制御範囲内では制御に従って安心を得る事が出来るかも知れないが、制御を越えたり、或いは、想定外の挙動、想定以上の状態への対応というのは果たしてどうか?という気がしてならない。

|

« 夏なのに大陸の高気圧 | トップページ | 次期アルト »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 全自動化:

« 夏なのに大陸の高気圧 | トップページ | 次期アルト »