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2015年5月19日 (火)

改革は困難

橋下市長、残念である。
手法を否定、批判する人は少なく無いけど、そう言った人は、自分からは意見を出さない。人の意見に対する批評、評論で、評論家に過ぎない。問題解決のための理想像を描き出し、それを具現化するために、要不要の取捨選択をスピーディに行うためには、判断力と実行力、それに強引さが必要であり、その強引さを実践するには、周囲からの抵抗、反対があるのは当然だが、それにもぶれずに突進出来るのは、最初の理想像を描き出し、それを実現するための道筋を明確に描けており、それを己で信じているからに他ならない。

こういう物事を生み出して具現化するための実践力がある人というのは、極めて稀な存在。誰もが憧れても、踏み出す事は殆ど出来ないのが実情。

そして、残念ながら、実践力がある人が描き出す理想像というのは、強烈な問題意識が背景にあり、その強烈な問題意識の根源は、既存体制、組織、風潮に由来しているので、行動を起こす毎に、反対意見が湧き上がり、その手法や、酷い場合には、人間性に迄クレームが付けられる場合もある。強引だの、劇場型だの、出自がどうだの、どうでも良い話が出るのも、こういう状況では良くある話しだ。変えたい人より、今の状況で問題が無ければ、今の状況で過ごしたいという人の方が多く、その安定を失いたくない人は、何としても、今の安定や方法、価値観を守ろうとするのである。あの手この手の反対が次から次へと出てくるのである。変えたい人というのは、大抵は独りぼっち、、、長期戦になる程に、どうでも良くなる気持ちが芽生えるのは仕方ない事。まぁ、体制側の狙いでもある。
結果、殆どの場合、問題意識を持つ人の実践行動というのは、旧態然とした組織に太刀打ち出来ないのが実情。

それは、政治でも企業でも習慣でも然りである。

旧態然とした体制が安定している程に、問題があったとしても、それを当然とし、それでも今の段階で成立しているという事が、革新への踏み出しを躊躇させる。

世界や体制が目まぐるしく変わっている時は、そういう実行力、実践力が組織を変えて社会が様変わりして成長を果たす事が出来るが、今のような安定した社会、組織では、その必要論自体が生まれづらいのである。

国家や企業が、発展し、やがて衰退するのは、全て同じ理屈。発展し続ける事が可能な国家や企業というのは、変わる事を拒まない風土が必要だが、今の時代、企業や政治に変革を求める人は多く無さそう。

橋下氏のような実行力のある人というのは、これからますます出なくなるような気がする。記者会見においては、2万%引退、清々しい気分という感じだが、本音は、少なくとも今の段階では、やるだけの事はやった。悔いはない。終了。改革は将来出現するかもしれない、より実行力のある人に委ねよう、、、自分の役割は終えたという気持ちのように思う。

自分の、この世界における役割は終えたという気持ちを持っているような気がする。
烏滸がましいが、彼の気持ちは良く判るような気がする。

自身、新しいシステムの実用化を組織で行おうとしたが、手法に問題があったのか、或いは、変わる事への抵抗を払拭させる事ができなかったためか、なかなか難しく、結果的に断念している。

ただし、信じたシステムは、組織で実用化出来なくとも、最高だという信念があるので、今は従来の組織枠以外の自由な活動での普及に務めている。結果、少しずつ、その考え方に賛同する他の大きな組織が現れて今の到っている。
恐らく、前回トライした小さな組織で組織に属したルールに則った実用化よりも、よりジェネラルな方法論で利害を超越した領域からトライする今の方法の方が結果的には、社会に対してより大きなインパクトというか普及が可能なように思う。

そう考えると、橋下氏の大阪市から変革するのでなく、その考え方を、より広い始点で普及させるという別の選択肢が彼なりに見えてくるようになるかもしれない。大阪というくくりでなく、信念を具現化するための別のアプローチを見付け出す可能性は少なく無いように思う。

次元が違うから、言えないけど、、、、やられたら、やり返す的に、もっと財政の厳しい自治体で、二重行政を解消した理想の自治体を実現し、大阪市を見返して欲しいような、そんな気がする。

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