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2015年8月 7日 (金)

原爆70年

原爆投下から70年の節目を迎えた。
そんな原爆を伝える被爆者の平均年齢は80.13歳、被爆者自身が高齢化が進んでいる事が問題となっている。
原爆の被害を構成に伝えるというと、被爆者自身の体験の伝承と、被ばく建物、被ばくした物だ。

被ばく建物で有名なのが原爆ドームで、これは誰もが知っている建物。でも、それ以外の被ばく建物というと、あまり知られていないのが現状。残された被ばく建物については、20年前は100棟あったそうだけど、今は74棟に減っている。広島市所有の14棟については保存対象だが、それ以外は民間に保存の補助、助成を行う事となっているそうだ。

因みに、自身は広島生まれで広島育ち、学校は居住区に最も近い公立学校に通ってきた。そして、親も広島育ちで、原爆投下時に父親が市内に居たので、自身は被ばく二世だ。
広島は原爆で殆どの物が失われており、過去を連想させる物は殆ど消失しているが、思い起こせば、実家には被ばくして鉄が解けたようになった、亀の身体、龍の頭を持つ『龍亀』の香炉があったのを覚えている。今でもあるかも知れない。

他には、広島大学理学部旧一号館は覚えている。大学入学年度が昭和59年度であり、工学部の共通基礎科目で有機化学Ⅰ・Ⅱの授業を、その建物で受講した記憶がある。教官は、原田耕造教授だったはず。教室は階段教室で勾配がかなり急な建物。結構薄暗いイメージがあるが、それから真夏でもヒンヤリするような、そんな記憶が朧気ながらある。あれが被ばく建物そのものだったのだ。
当時は、被ばく建物も授業に使われており、理学部内は結構徘徊したような記憶があるが、理学部の校舎は何時も照明が落とされており薄暗い印象だ。

後は、広島陸軍被服支廠だ。これは幼少期に住んでいた家の近所にあり、この界隈で遊んでいたので覚えているが、今日、テレビで映された映像を見ると、昔のままでビックリである。

原子爆弾という核兵器の威力と惨状というのは、一言で言えば凄まじいもの。物の破壊も、人にも世代を越えて影響を及ぼすもの。これから未来では使う事は許されないモノ。それ程までのモノだというのを伝える意味で、ヒロシマは重要な役割を担っている。仮に、今迄使われていなかったとすれば、その惨状をリアルに実感する事は誰も出来なかっただろう。被ばく建物や、被ばくで損傷したモノ、被爆者の伝承を伝えることが、この惨状を再び起こさせない最大の抑止力になるんだろう。核に対しての抑止力を核で行使するのでなく、伝承を抑止力とするという考え方が理解されるのは、なかなか難しいのかもしれない。

ヒロシマに原爆が落とされたのは不幸な事だが、新たに開発された兵器は行使される運命がある。そして行使の対象として日本の都市が選ばれたのは、当時の様々な条件から避けられなかったのかも知れない。当時の日本の世相のおぞましさは、そら恐ろしいもの。戦時体制下の社会の異常性、特攻を賛美し、全てを軍に捧げる事を賛美する風潮は、現代の某国を見るようで、非常におぞましいものにしか見えないというのが正直な感想だ。

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