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2015年11月15日 (日)

捨てるのも程々に、、、

一昨年、自分の使っていた書斎部屋を息子の子供部屋に明け渡すのに、ロフトの荷物を整理して、書斎に使っていた部屋の荷物を整理した。
荷物の多くは、単車関連、自転車関連、パソコン関連、デジカメ関連で集めたモノだ。

荷物の量は半分程度に減らさないと収納不可なんで、長く使っていなかったモノは思い切って処分したのだ。それに併せて、単車も減車し、ガンマ200、グース、C200を引退させ、それら関連のストックパーツも一気に処分した。併行して自転車関連の部品でも、まぁ、使わないだろう、、、という判断でパーツ類も大量に処分したのである。

しかし、、、、ここに来て、ふとした事で、モノの修理を試みたりしている中で、どんなに探しても見付からないという事が数度、、、、記憶を辿ってみると、、、、荷物の整理の過程で処分した記憶が微かに、、、、、非常に後悔している状況である。

同系のパーツは纏めて保管してあるので、他に紛れている事は考えられない。保管スペースが小さくなったので、その中で優先度が低いと当時判断したものを思い切って処分した記憶が鮮明に蘇るのだ。
つまり、、、、もう、存在しないのだ。

これ、、、非常に悲しい事。

片付けの魔法とか何とかで、『断捨離』って言葉が流行ったりしているけど、モノを使うインターバルが長い人にとって、こういう判断での廃却は考え物である。単車趣味、自転車趣味では、モノと付き合うインターバルが二十年以上のモノもある。下手すると三十年前の記憶さえ遡ってモノを利用している現状では、二~三年レベルで使っていないモノが要らないモノという判断は危険だ。

基本、利用不可能なモノは即廃却しているけど、使えるパーツは解体分別で保管している。保管して単位は、基本は利用可能な状態となっているのだ。となると、、、、それを捨てるというのは、使わないから捨てるという判断はNGだ。機能を有しており使う可能性が或るモノは保管という判断の方が良さそう。絶対使わない、、、、こういう判断に到るモノを捨てるのは当然だが、この絶対使わないという境界を見誤ると悲しい事になる。

片付けの魔法とか、断捨離とか、、、流行り言葉に惑わされないように自己判断で整理整頓していくつもりだ。

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