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2015年11月19日 (木)

親の期待というか、、、

一般に、親は子供になんらかの期待を掛けるのが常だろう。
で、我が家ではどうか?を考えてみた。
自分の場合、水泳、自転車、単車という長きに渡り持続している趣味があるけど、長く続ける事ができるのは、やはり幼少期からスタートしたものが深い趣味となるということで、幼少期から出来るものを探す事から始めた。
 趣味を深く突き詰めると、その熟練度が共有出来る尺度のある世界の方が、大人になったときに世界が拡がるし、活用出来る場面が増えるように思う。例えば、絵画が好きだとか、或いは、単車が好きだ、自転車が好きだという世界では、その精通度を推し量る尺度が統一されて確立されているとも言えない。少数故に、その世界で楽しむ場合の世界の拡がりを考えると、楽しいのは間違い無いが、進んでいく程、同じ世界観を持つ人、仲間を見付けるのは簡単ではない。
 そういう面で趣味としても、或いは、分野としても確立して評価の尺度が存在し、活用の場が普及し、尚かつ、一生付き合えるものという事で考えると、運動、音楽と言う事になる。この内、グループでなく少人数、一人でも出来るものは?と考えると、音楽の世界ではないか?という考えに行き着いた。自身、音楽が出来ればどんなに楽しかったか?と思う事もあり、子供には音楽の力を授けたいと思ったのである。これは、子供が生まれる前に考えた事だ。
 音楽にしっかり接っしさせる事を目的に、娘、息子には、ピアノ、ギター、バイオリンといった楽器が扱えるように教育してきた。
なお、習い事としては、指先をしっかり動かすということで、楽器に加えて珠算をさせているくらい。

 音楽といえば、上達に併せ知識も技量も必要であり、ステップアップしなければ次の段階に進めない。そういう意味で、その世界を体験することで、他の世界での物事の学ばせ方を身に付ける事が出来ればよいと思っている。

 なお、どんな世界で生きて欲しいか?というと、基本は、ホントの意味で人のために役立つ、或いは、正しい事を突き詰める事に遠慮の要らない世界というところ。公共サービスの仕事、人に接する講師、教師、或いは、純粋に真理を曲げずに活動出来る研究者、技術者というのが理想だ。研究者なら教育機関、技術者であるならば、やはり大企業で確立した研究機関を有する企業に限る。
 間違っても、最近よく聞く、データ偽装、性能改竄が罷り通り、利益優先、受注優先主義で、嘘で真実を覆いかくして表面的な体裁で社会貢献を謳うような企業はダメ。自身の経験上、こういう世界で正義を貫くのは非常に難しい。疲れるばっかりだからだ。

 そういう選択肢を得るためには、やはり、相応の取り組みが必要。万が一、望む職に就けなくとも、自己の中に自分の世界が作れるような趣味があれば望ましいので、勉強も大事だが、勉強以外でも、自己表現が出来て、それが活用出来るような趣味の世界を持つ事が望ましい。

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