閃き、アイデア、オリジナリティ
知らないことを理解出来ると言うことは非常に嬉しいことだけど、それだけでは物足りない。最低でも、理解した事を役立てることが必要。更に言えば、理解したことを駆使して、誰も知らない事を見付ける事が大事。そうやって、皆で知識を進める事が、社会の発展に繋がる。発展の一翼を担う事が出来たと思えれば大きな満足が得られる。因みに、知識を駆使して真理を解き明かして発見に結び付ける力が知恵だろう。
何か、誰も知らなかった事、今まで無かった物や仕組みを生み出す事こそが一番楽しいというか、それが出来ないと楽しくないような気がする。
何か新しいモノを生み出すために必要なのが、先人の発見した知識の山だ。知識を身に付けて理解して使えるようになって初めて、新しい何かが見付けられるようになるんだろう。新しい知識を発見するためには、過去に発見された知識が進化していく過程を理解したり、実験や推論の手法を身に付ける事が不可欠。そういう手法を身に付ける事が学習であり、そういう手法を身に付けさせるための導きが教育の筈。そして身に付くものが知恵ということ。
教育するというのは、知識を駆使して推論して新しい知識を生み出す手法を教えるということ。知識を身に付けさせるには、世代に応じて関心のある世界、発育に応じた深さに応じた世界の現象を通して仮想体験させることが大事。そういう段階を踏んで、自発的に探求活動が好奇心に従って行える様になる事が、所謂、卒業、修了ということの筈。
卒業、修了して社会に出るということは、己が身に付けた知識を駆使し、己の選んだ世界で新しい知識を発見し、発展に貢献するということだ。つまり、最も大事なのは、新しい発見、そう、閃き、オリジナリティ、独創性である。それが生み出せてこそ、本来は対価を得る資格に通じる筈なのである。
しかし、実際の社会は、新しい価値を生み出す事ではなく、金を楽して儲ける事の方が価値があるような構造となっている。それが、偽装が改竄の温床となっている。正直、オレオレ詐欺や窃盗も、企業が組織ぐるみで行う性能改竄、品質偽装行為は全く同次元である。何れも、新しい価値を生み出すことなく、価値に見合わない対価を安易に手に入れる手段である。個人を犠牲にしたり個人の財産を奪うのが詐欺や窃盗だけど、社会や世界を騙して搾取しているのが性能改竄行為、品質偽装行為である。
一寸前の三菱自動車のクレーム隠し、最近ならVWの排ガス性能偽装、他にも、建築会社の杭打ち性能偽装等々発覚しているけど、何れも、ものづくりで金を稼ぐに見合わない犯罪行為集団といえる。まぁ、身近な所を見ると、性能改竄、材質偽装、品質改竄なんて溢れまくっているのが現状。そういう所で給料貰ってたら、基本は同罪で、なんか後ろめたい気分を感じているのは確かだろう。そして、そういうのが実際の社会なんだろうなぁ、、、。現実問題、背に腹は代えられないと思うのが個人の弱さ。それ故に、知っていても、組織に属する個人が、組織の偽装行為は表に出す事は無い。
なにか、間違っているような気がするなぁ、、、、。
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