広島の再開発事業、パッと見では、必ずしも繁栄に結びついていないような印象。
先ずは、母校の広島大学。これ、昭和50年代から平成初期に掛けて東広島に移転した。自身が通っていた頃は、一般教養科目は総合科学部がある広島市内の千田キャンバスで授業を受けて、専門科目は東広島で授業を受けるというパターン。当時の千田町界隈の賑わいは如何にも学生街という雰囲気で街に活気があったのは確か。
しかし、移転が完了して、だだっ広い跡地が空き地で残って久しい。最近、その近辺を通ると商店街の多くはシャッターを下ろし非常に寂れた印象。工学部跡地には、公的機関がいくらか入っているけど、人気は無いし寂しい感じである。確かに、東広島市は大学周辺を中心に活気があるが、その反対に広島市内の一等地にだだっ広い空き地と、それを囲む寂れた商店街というのは、広島の衰退の象徴の一つといっても良いような状況。
次が広島空港。これは広島県中央部の竹原に移転。残された広島空港は、広島西飛行場になり、最終的にはヘリポートになっている。いまは?というと、だだっ広い土地に、寂れた廃墟的なマリーナホップに店舗が散在しているだけ。この地区に通う意味があるか?というと、殆ど意味を感じないので行く事もない。広島駅に近い駅である横川駅から旧空港に向けて旧空港通が通っているが、国道二号線と交差する箇所以南の地域は、広島空港が移転する前に較べると、寂れ具合は著しい。印象として街が死んでいるような状況だ。
段原の再開発という事で比治山周辺の地域を小綺麗に再開発し、大きく街並みも変わったけど、街というより単なる通過エリアになっているような印象。集客施設として期待を担ってオープンした旧サティも今は散々な状況である。土地を区画整理して施設を作っても、需要が存在しなから集客出来ず空洞化するだけである。結果、整理して住民を追い出して得た土地には、人が居ない空洞だらけの街が残る。
他の開発は?というと、アストラムライン、都市高速の整備事業、広島駅周辺の再開発が進行中だが、広島圏の集客力が新たに整備する施設を存続させるに見合った規模を維持できるか?というと、なかなか難しいのではないだろうか?
現実問題、近年は都心から離れた場所に数多くの大規模ショッピングモールがオープンしているが、オープン直後こそ盛況なものの、数年経過では賑わいは思った程でない。各所に似たような施設が散在するから、施設毎の集客数は減っているのが現実。三十年前の市内中心部の賑わいと比較すると、今の市内中心部の人の少なさは驚く程だ。駅前界隈に家電店を何店もオープンしても少ない消費者の争奪戦で結局は撤退を余儀なくされるような気がする。家具屋をオープンしても、家具屋が長期にわたり存続できるか?というと、広島の家具屋の減少を振り替えると、最初だけでは?という印象が強い。結局、空き地が増えて、コインパーキングだらけで、所々に公的な施設が散在しただけの町並みしか出来ないような気がする。
広島のような規模の都市で、そもそも都市高速が必要か?というと、それも違うような気がする。都市高速を利用して移動可能な地点に、人を集めるエリアがあるか?というと、それもない。結局、中心部から追い出した人が山間部に暮らしており、それが市内に移動するためだけの道路にしかなっていないのではないだろうか?そして、人が居なくなった中心部には、人を集める施設が溢れすぎて、結局は定着せず、駐車場だけが残るというパターンだろう。
再開発によって儲かる人間にとっては、事業進行中は潤うために有り難い話なのかもしれないが、広島の人を集める力を考えれば、それに応じたコンパクトな都市設計を行うべきだったように思う。コンパクトに全てを賄う事が出来るという魅力を敢えて破棄して、重要な都市機能を担う施設を、あっちこっちにばらまいて、何をするにしても時間と距離の面で不便な状態になっている。
三角州の三角の頂点を空港、駅、港湾で囲み、中央部に都市中枢を排していた優れた先人の都市設計をバラバラに解体し、人を集める拠点を失い、中央部が歯抜けになって、似たようなモノをばらまいて売るだけの施設が散在しただけの都市が、どうやって発展できるというのだろうか?
都市高速を整備することによって、広島自体が単なる通過都市に成り下がるのも、もうすぐそこに来ているような気がする。
恐らく、都市高速の完成が、広島衰退システムの完成に繋がるだろう。
人やモノが、道路、鉄道を通って広島から逃げていく。結果、都市として衰退していくというのが目に浮かぶと言ったら言い過ぎかも知れないが、近年の都市開発後の惨状を見ると、どう考えても繁栄した都市のスタイルが思い浮かばない。
早いところ、5号線を完成させて、その後の惨状がどうなるか?をじっくり拝見させてもらいたいものである。
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