難病
難病と闘う人、結構多いようだ。これまでは、割と他人事的な印象を持っていたけど、家族がそれぞれにコミュニティに参加すると、会話の中で、難病と闘うという話を耳にする。
その頻度は、当初の予想より遙かに多い。
そういう話で思う事は、難病を患う事で日常の作業一つが生活する中で大きな障害となることが少なく無いということ。身体の機能が制限されることで、生活動作に色々な制約を受ける訳だ。
自身、自業自得で活動の自由が制限されるような怪我を負ったり、或いは、軽度の後遺症を残したりしており、自由が制限された時の不自由さに苦労したり、軽度の後遺症かもしれないが、それによる不自由を不満に思ったりしているので、その何倍もの大変さの中で日常を過ごしていることに対して、何か出来ない事はないものか?と考える事がある。
自身の最大の不自由な経験といえば、大腿骨の粉砕骨折による車椅子、松葉杖生活だったけど、ちょっとした段差の不便さ、松葉杖を使うと雨降りで傘が使えない不自由さ程度だったけど、それを何とかするために、車椅子を改造したり、松葉杖と肩を使って傘を固定する器具を作ったりしていたことを思い出す。
今、物作りというか、新しい需要を想定したモノを生み出すのが日常だけど、同じ物作りなら、何となくだけど、日常で感じる不便さに悩む人の生活を補助となるようなオーダーメイド的な何かを作る方が良いような気がする。
機能を超ハイテクで技術偏重でサポートするのも一つかも知れないが、日常の動作を改善できるちょっとした工夫を提供するという方が実は有用な気がする。そういうチョットした工夫が提供できるような、そんな事を行ってみたいような気がする。そういうモノというのは、使い手の気持ちになった上でのアイデア勝負ということ。そういう何かを考える事を始めるのも良いように思う。
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