回想
一日120km前後を毎日走っていた時を振り返る。
月間走行距離は3500~4000km、年間で40,000km以上の走行である。
随分昔の事だけど、特に走り込んでいたのは、大学、大学院時代で、年齢でいえば、18歳~26歳頃までの話。因みに、21歳迄は単車は一台で全てを賄っていたけど、その頃の金の掛かり方を思い出してみる。
当時、ブレーキパッドは前輪は毎月交換、後輪は1ヶ月おきに交換。そして、ハイグリップタイヤは、後輪は2ヶ月弱で交換、前輪は3ヶ月で交換というペース。チェーンは、、、実は、交換した事が殆ど無い。
ただ、そうしても単車は半年もすればガタが来る、、、そんな感じである。
単車の壊れ方は、レギュレーター、ジェネレーター、イグナイターが壊れるか、オイル下がりで白煙が出る、足周りがガタガタになる、、そんな壊れ方が殆どだった。で、チェーン交換の前に、単車乗り換えがデフォルトだった。
時代がレプリカ時代、峠時代だったため、使い方も荒い。傷み方も早い、、、で、年間に3~5回の乗り換えを続けてきた。結局、そういう使い方では愛車に愛着を持つ前に償却ということ、、、で、複数台所有に移行。これが21歳の頃。地元の峠専用機、遠征専用機、日常走行専用機、、、、、という風に増殖し、最初が3台体制、その後は4~5台体制となる。その結果、トータルの走行距離は変わらずとも、一台辺りの走行距離は抑えられて長期間維持となる。
複数台所有によって、色んな単車を色んな場面で自在に走れるという環境が、扱いの幅を拡げてくれたと言える。
当時、仲間内で、最も走行距離が多く、最も多くの単車を維持所有していた。そして、当時からずっと乗り続けているのは、見渡すと、、、自分しか居ないのが現状。ところで、それを支える事ができるのは、自由になる時間と資本が必要。
20代のガキにそれが実現できたのは、何と言っても塾の講師業だろう。通常の学生バイトの十倍以上の収入あっての話である。ただ、それでも年間数台の重量車を購入して、複数台所有となっていると、それでも追い付かない。振り返れば、当時は複数のクレジットを抱え、毎月借金を返済していたものである。返済額は、月数万円、、、、そんな感じだった。
夏休み、冬休み、春休みといった講習シーズンの増収で、月の赤字を補填する、、、そんな暮らし方である。
でも、今考えれば、無茶しても恐くない時期に、あれだけの距離を走り込んで、三桁を越える単車を購入して得た経験というのは、貴重な財産と言える。今、同じ事をトライしても、吸収出来るモノは当時の量には届かないだろうし、今は出来ない。20代に於ける、濃密な体験が、今を支えるバックボーンとなっているように思う。
腕自慢、走り自慢の人の話を聞いて、どこか嘘くさく感じるのは、やはり話をしていると、その話の奥に、根拠となる体験が見えないと感じるから。どんな人でも今の状態は、過去からの積み重ねによって作られるモノ。その積み重ねというのは、話をしていればホントか嘘か、、、そんなのは大抵は見抜けるモノである。
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