講釈よりも、、、
単車のスキル、基本は経験次第である。如何に、色んな車種を自分のものとして、そして、如何に色んな状況で長く走ってきたか?次第である。
走り慣れた状況が身体に染みつけば、一種の自信を伴ったスキルになる。
ただ、自信が持てるスキルが身に付いていたとしても、それは言葉で第三者に伝えるっていうのは、なかなか難しい。
これ、出来る、理解するというのと、理解した事を理解していない人が飲み込めるように伝えるというのとは、次元的に大きく違うのだ。
単車の乗り方に限らず、子供の勉強にしても然りである。自分が正解を出せるというのと、理解していない人に正解を導き出せる能力を授ける能力というのは別次元なのと同じ。
稀に、単車の乗り方で、走り方、ポジション論を、未熟な人に偉そうに伝える場面を見掛けるけど、その場で口は挟まないが、その伝え方だと、理解出来ないのでは?と思う事が少なく無い。
何事でもだけど、上手く出来ない事柄を上手く処理出来るようになるためには、上手く出来ないと感じた本人が、何が原因で、何をどうすれば取り除けるか?を考えて、試行錯誤を繰り返さないとダメである。
一歩先に進めない原因、それは何か?というのは人各々で、原因が同じであっても、その感じ方も人各々なのである。運良く、原因と感じ方が同じならば、その言葉で解決出来るかも知れないが、その為には、上手く出来ない状況における感じ方を、一つ一つ聞き出さないと、その状況に応じたアドバイスなんて出来ないのである。
苦労している事が、何か?、、、それが人によって異なるけど、そのパターンが見抜ける程の付き合いを重ねていけば、適切なレクチャーは可能かもしれないが、伝聞的に聞いただけで、こんな場合は、こういう風に乗ればOKという話、、、それは、殆ど無意味な場合が多い。
自分の場合、中高生に科目を教える方法に限らず、自分なりの単車の乗り方の理解とか、自転車の乗り方の理解とか、、、そういうのは、基本的には人に偉そうに教える事は100%有り得ない。教える場合というのは、中高生向けの塾的な授業くらいで、その場合は、我が子以外で授業料を徴収する時くらい。それ以外というと、金を徴収するに見合ってないか、自身の理解が他人に教えるには不十分というのが理由。
ただ、自分から、ひけらかす様な講釈は100%無いけど、本気で頼まれた場合は、自分なりの理解を伝える事は無くはない。
数年前、自転車友達が単車の免許を取る際に、一本橋が苦手ということだったので、自分なりの理解を伝えて、こういう操作をこういう意識で、力の入れる箇所は何処で、、、という話を伝えた結果、一本橋が得意になって免許が取れたと感謝された事はあるし、超タイトな八の字旋回、スラローム等での荷重と駆動力のバランスを得る時に意識すべきポイントを自分なりの感じ方で伝えて、やはり感謝された事はあるけど、基本は、こちらから何かを伝えるということは無いのである。
伝えようと思えば、その状況を良く聞けば、伝える事が出来るかも知れないが、それでも、余程の関係でなければ、折角掴んだ事を教えるってことは、まず、有り得ない。
自分の経験で自分で理解した事っていうのは、結構大事なのである。
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