二輪車と感覚
二輪車に限らないが、機械と使い手の間で重要なのは、コミュニケーション能力だ。この密接度が極めて重要なのは、全ての機械について言えることだけど、特に、全身を使って五感を駆使して接する単車のような機械では、如何にライダーとバイクのコミュニケーションが密接に出来ているか?が極めて重要である。
機械と人のコミュニケーションで重要なのは、只単に使うという経験だけでなく、機械の構造、動作の理屈といった知識を磨く事が極めて重要である。単純に乗るだけではコミュニケーション能力の高まりには限界がある。そして、単に整備したり、単に内燃機関に関連する学問に精通するだけでも限界がある。
密接なコミュニケーションを築き上げるには、何が必要か?
乗るという操作は、普通の機械の操作のようなモノに留まらず、スポーツ的な要素も含むので、その使い方に対応出来る身体能力も不可欠である。機械への精通度についても、既存の機械の整備スキルだけでなく、機械の道理を理解すべく自然科学の分野の学問への精通度も重要となってくる。
このような能力を高める上で、それを望む人間側に求められる資質は何か?というと、これは学問を習熟する上での姿勢と全く同じモノに帰結するのが興味深い。
操作する上で感じる力を高めるには、継続した経験の蓄積と、操作に必要な人側の地力維持の取り組みということになる。単車を扱う上で必要な筋力、平衡感覚、反射神経といった部分を維持し続ける取り組み、それから、そうやって身に付けた体力を駆使しなければ乗れないような乗り方で接し続ける事が極めて重要と言う事である。
機械の状態を感じ取って良好なコンディションを維持し続けたり、更に良好なフィッティングを実現しようと思えば、些細な違いを感じる能力が養われているのが前提だが、些細な違いの原因が何か?というのを見極めて言い当てる力が必要であり、良好な状態を望むのであれば、良好な状態を得るために発端となった現状を正確に分析し、現状に起因する要因が何か?を見極めて、求める形を得るためには、何を如何に変えるべきか?を見極める力が必要である。これには、学問修得に対する謙虚さを持ち続ける事が最も重要と言う事である。
謙虚な気持ちを持ち続け、持続して向上しようとする気持ちこそが最も重要といえる。
逆に言えば、謙虚さが駆けて、一を見て、百を理解したような言動に表れるような言動を口走っているようでは、恐らく、理解の境地には永遠に達する事が出来ないだろう。
単車からのメッセージを常に感じるように、神経を張り巡らせて乗る。そうすれば、一寸した不調を僅かな気配から感じ取る事が出来るようになるし、一寸した挙動を収めるために、何を如何に操作すべきかというのが、即座に対応出来るようになるモノである。
この感覚を求めて付き合えば、単車という機械を飽きるような事は、まず有り得ない。常に新鮮である。
そして、そういう気持ちで単車という機械に接していれば、浅い考えであったり、自信過剰な言動、或いは、見栄や嘘というのも、直ぐに見えるように成るのである。
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