車両個体とのシンクロ
まぁ、所謂、相性みたいなもの。車、単車、自転車、、、こういう感情移入の対象となるようなモノとも、人間同様に相性というのが存在する。
正確には、相性という相互間の感情ではなく、自分からモノに信頼感が持てるかどうか?という事だろうと思うけど、付き合う上で、この信頼感というのは極めて重要。
この信頼感には、安心感というのも含まれる。信頼、安心が深まるほどに、愛着というものが芽生えることになる。自身のモノの所有歴を振り返ると、見事にそれが分かれている。
モノへの愛着が増して信頼しているモノというのは、極めて長い期間所有しているが、そうでないモノは、非常に短期間で手放している。二輪、四輪関係無しに、長期所有しているものと、短期で売却するものに分かれている。
必ずしも、長期所有物=新車という訳ではない。これまでに短期所有で売却したものといえば、新車のエスクードV6だけど、所有期間は10ヶ月程。その次に乗り換えたエスクードDEは7年所有である。単車では、大昔に遡るけど、CB125Tは3ヶ月、スーパーホークも4ヶ月程だ。一番短かったのはGPZ250で1ヶ月だ。一方で長期所有のモノは、実は多くない。四輪ならエリオで8年、今のプロボックスも7年経過だけど、それだけで、それ以外の車、7台は半年~1年程度で乗り換えている。単車ならガンマが31年、CXが24年、SVが14年、AVが29年だけど、単車に関して言えば、長期所有しているのは今手元に残っているモノに限られ、過去に購入した95%以上の単車に関して言えば、2ヶ月~半年程度で殆ど売却しているのである。
長期所有しているモノは、当然愛着は深いし、非常に気に入っているし、何より、信頼感、安心感がある。調子が悪くとも、動く内は手放そうという気にならないのが特徴だ。
その根拠というのは、モノのキャラクターを気に入っている側面もあるが、モノのコンディション、モノを介した上での人間同士の信頼関係といった多岐に渡る要素によって形成されている。
逆に、割と短期間で手放すモノというのは、そういった部分の何処かしらで、信用仕切れない、納得出来ない部分というのが消し去れないとか、不安、不信が膨張するようなモノと言える。過去の愛車で、気に入っていたけど、泣く泣く手放すというモノも存在している。CS250なんかそうだけど、非常に気に入っていたけど、脆すぎるために手放した事を鮮明に覚えている。まぁ、乗り方が厳しかったのだろう。
今のBT1100も然りだ。このモデルのキャラクターは非常に好みだけど、個体に関して言えば続く不運のためか、信頼感は高まっていないのが現状だ。不幸続きはさておき、懸念なポイント(欠品パーツの製作、調達、損傷部品の補修)は色々と手を加えてきたけど、それでも未だ何かが出てくるのでは?という懐疑心が拭え切れていないのが現状だ。欠品箇所が複数あったけど、パーツの入手性が極めて悪いという現状の中で、今後も更に欠品箇所が見付かる?という心配もある。当初から、板金補修したり、新品バッテリーが御臨終だったりで、これって、呪われていて、御祓いが必要?と思うほど。
ただ、モデル自体は気に入っており、手間掛けて探して貰った事を考えると、どうすべきか?は、非常に迷うところ。これで問題が出尽くしていれば良いけど、なんとも言えず様子見中。具体的には、現車確認出来れば、もう一台買って、今のをパーツストック化する方向で動いているけど、その前にトラブルが出れば、その時点で諦めようと思っている。
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