高齢者の定義見直しについて
今の高齢者は65歳以上、そして75歳以上が後期高齢者。これが、高齢者の定義を75歳以上として、65歳以上75歳未満を准高齢者とするという話。因みに、90歳以上を超高齢者ということらしいけど、ここで90歳以上を超高齢者って、、、なんだか、失礼な話にも聞こえる。超高齢者ではなく長寿高齢者とかにすべきだろう。
因みに、定年年齢は今は60歳、希望者に関しては65歳迄再雇用を認めるという形だけど、下手すれば、高齢者の定義を変えると、定年年齢を引き上げる議論に繋がるのが見え見え。
しかし、昔を振り返れば、定年年齢は55歳だったような、、、そんな昔というのは、高度成長期の時代の話。
で、思ったのは、高度経済成長というのは、アグレッシブな労働者、若い労働者によるパワーも大きく貢献していたのでは?とも思える。そして、今の若年層の就職難というのは、高齢者雇用を進めた結果の影響が無いとは言えない。
そもそも、元気な内は、ずっと働けという議論自体に違和感を感じる。やはり、若い世代の新しい発想で生産年齢をフレッシュに保つというのが大事のような気がする。身体に新陳代謝が重要なように、労働力自体も新陳代謝が重要なのではないだろうか?
今は話にも聞かないけど、大学では『飛び級』も認められている現代。若くても能力がある者は積極的に社会に出れば良いけど、それを受け入れる容量が社会には必要であり、そのためには、高齢者雇用を進めて高い人件費と狭い新規採用窓口となっているのはNGだろう。
定年年齢を60歳から更に引き上げて65歳にするとか、再雇用後の期限を65歳から75歳にするとかよりも、定年年齢を55歳に引き下げるとか、そういう方が大事なように思う。労働者を55歳以下に抑える事ができれば、人件費を大幅に抑制出来るし、新卒であれば、抑制人員を大幅に上回る新規採用も可能。多くの人が生産に携われば、多くの発想が製品として生まれてくる可能性もある。
高齢者の定義は兎も角、定年年齢は55歳程度に引き下げるべき。
更に言えば、高等教育機関である大学は、今より大幅に減らすべき。各県に1~2つ程度で十分だろう。現代では数値的な進学率的は高く、多くの人が大学に進学しているけど、大卒の肩書きに見合った知識を備えて社会に出ているか?というと、これはかなり怪しいのが現実。濃度計算が出来ない理系大卒も普通にいるし、、、
貴重な若い時期の過ごさせ方を考えると、早く社会に出て生産に従事させる方が良いとも言える。大学進学率は、正直数%レベルで十分。それ以外は、専門性を身に付ける進路に導き、早い段階から生産に従事させる事が、社会全体の競争力、生産性の向上に有効ではないだろうか?
今の生産年齢を平均で5歳も若返らせる事ができれば、随分と違った社会になるような気もする。
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