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2017年8月 3日 (木)

刑罰

私利私欲、怨恨による殺人事件は後を絶たない。
そんな殺人事件で加害者に科す刑罰で違和感を感じるのは、加害者の年齢、身心状態、殺めた人数によって判決が異なるという事。これには非常に大きな違和感を感じる。

被害者、遺族側から見れば、そんなのは被害を受けて甘んじるような理由には成り得ない。論理的に、それが理由で量刑が軽減されるというのは、被害者側からみれば納得出来る筈も無い。

量刑を定めるのは、加害者を厚生させるとかではなく、被害者や社会が納得して社会が安定するには何が望まれるか?を考えるべきであり、その場合に不公平感が生まれてはならない。つまり、犯罪の結果として、関係無い人の命が奪われるような事態を招いたのであれば、罪を犯した側が複数で、被害者が一人であったとしても、命を以て償うのが筋である。

つまり、個人的には、故意による行動で命を殺めてしまえば、加害者が一人だろうが複数であろうが、一人でも殺めていれば、問答無用で、年齢も考慮する必要無く、全て死を以て償うというので良いのでは無いだろうか?

このような裁判では、命を以て償う以外の選択肢を考えるのではなく、何故に、そのような悲劇的な事態を引き起こしたのか?それを防ぐ知恵は無いのか?どうすれば、惨劇が二度と繰り返されない社会システムを作る事が出来るか?のみを議論すれば良い。

加害者側の量刑を都合で加減する必要など、これっぽっちも存在しない。そんな気がする。

交通違反では、事情は関係無く、違反行為で点数と反則金が一律的に決まっている。殺人等の犯罪でも然りである。他人の命を奪うという犯罪行為、、、、点数で言えば、一発終了、反則金は、、、、プライスレス、、、つまり、命を捧げる以外に償う方法は無い、、、、それで良いのである。

遺族感情を考えたり、凄惨な犯罪の抑止力として考えると、このような機械的な判断の方が望ましい気もする。

未成年犯罪に対しては厚生云々を言う声も少なく無いが、人を殺める事が出来る力を持つ迄に成長した状態では、その人格形成を矯正するのは不可能とも言える。となると、厚生よりも命を以て償わせるのが正しい選択とも言える。敢えて裁判で審理を行うとすれば、その人格形成に至る責任を負うべき保護者にも責任を負わせる事では無いだろうか、、、

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