今時の芸人、芸能人
基本的に高齢化が進み、ジャンル外への進出が著しい。
アイドルと一言で言っても様々だけど、個人的には例えば女性アイドルが可愛らしい格好でテレビに出るならば、年齢的には22歳が限界かな?という気もするし、男性アイドルがアイドルとして通用するのも、いくら歳を取っても30歳未満かな?という気もするけど、現実は違う。女性アイドルなら30歳でもOKな感じだし、男性アイドルなら40歳越えも普通。
感覚的には70年代、80年代当時からみれば10歳は高齢化しているような気もする。
女性アイドルといえば、山口百恵さん、ピンクレディー、キャンディーズ辺りをイメージするけど、あの辺りで引退、解散したのは、20代前半であり、活動期間はそれ程長くないけど、印象は鮮烈に残っているように思う。
個人的な感想としては、昔のアイドル、芸能人というのは天性の才能の持ち主、現代のそれは、必要なスキルを徹底的に叩き込んで作り上げられた人という印象である。
これが、活躍する年代に大きな違いを生んでいる要因のような気もする。
昔は天性故に既に競争力を持って売れる要素を持っているので若年時から闘える人、今は鍛えるために時間が必要で完成しなければ登場出来ないので、自ずと高年齢化しているのかもしれない。
最近は芸人、芸能人の不祥事、事件が少なく無いけど、普通に考えると何故に?というような事件も少なく無い。ただ、よくよく考えれば、一般社会で一般常識を身に付けたり、教育機関で一般教養を身に付けるべき時期に、そういう世界でそういう過ごし方をしていない人の方が多いようにも思う。本来、そういう時期において芸や歌のスキルの修得に全てをつぎ込んでいたとすれば、本来なら気付くべき事を気付く能力が育まれていない可能性もあるし、そういう環境故に、普通なら問題になる事に対する配慮不足であったり、甘えや奢りの意識が生まれていても不思議ではない。
様々な不祥事の原因に、酒を挙げている人もいるけど、そんなのも理由にはならない。
今のように、高い年齢になってもアイドル業が続けられる時代ならば、その年齢において本来身に付いて修得すべき観念や常識、風習を身に付ける必要があるようにも思う。少なくとも、公共の電波で影響力の高い存在であるならば、アイドル=憧れの対象であり、その対象として相応しい常識力を身に付けておくべき必要性があるようにも思う。
本来、若年時においては教育を受けて成長するものだけど、若年期に歌や芸の習熟、修得に全てを捧げるような生活をしていたならば、もしかしたら、その時期に身に付けるべき知識や常識が欠落している可能性も否定出来ない。本来、義務教育後の高等教育、大学教育において知識や常識を身に付け、社会にでるための体験的経験を積むのが多くの人の歩む道だけれども、そういう段階を通っていないのであれば、芸や歌が習熟出来たことで、それ以外の何かを忘れている可能性だって否定出来ないように思う。
三十路、不惑になってもアイドルという憧れられる存在であるならば、多くの人が身に付けてきた社会通念、一般常識、一般教養くらいは最低限身に付けて、問題を起こさず身を律することが出来る抑制力が無ければならないのでは無いだろうか?
別に芸人、芸能人の活動に年齢制限が必要とは思わないが、少なくとも、年齢、世代に応じた常識力、一般通念、一般常識は身に付けるべきであり、今の時代ならば、若い世代から素材として育てる側の企業も、育てている人材に教育を受けさせるべきのようにも思う。
今の時代、例えば高校入試等ではスポーツに長けていれば勉強は程々で入試合格!なんて高校も少なく無い。まぁ、高校の知名度を上げればOKなのかもしれないが、その制度に乗っかって高校生活を過ごした人の多くは、本業たる勉学が疎かとなる場合も少なく無い。高校入試こそ、そこそこの特技でクリアできても、大学入試となると、少々のレベルでは推薦を受けて合格には至らない。特技を以て、それで次のステップに進めるというのは極僅かであり、逆に言えば、そうでない人の多くは、その特技たるスポーツ等では人よりも優れるかも知れないが、それ以外の部分で身に付けるべき知識や常識が欠けている場合も少なく無い。
人間の多様性の面で考えれば、色んな人が居るのが社会であり個性であるというのは理解できるけど、成人に達するまでに受けるべき教育には知識、常識、人格形成、社会経験の修得というモノも含まれており、それらを受けるのが高校、大学教育でもある。
そういう知識、常識の修得と社会経験を積んだ上での人格形成というのは、成人後に生きていく上では不可欠な要素なのは間違いないものである。そういう大事なモノを身に付けるべき時期に、それ以外のモノの修得に全てを捧げていたとすれば、そういうモノが欠落しているというのは仕方ないことかも知れないが、それが理由で、理不尽な事件や事故が起きているので有れば、今一度、社会において、世代毎にすべき事は何か?というのを考え直す時期に来ているような気もする。
芸能人の不祥事等を聞くと、根底に奢り、傲慢の意識が見え隠れするようにも思う。今話題の煽り運転にしても、それを行いたい衝動は理解出来るけど、度を越す行動がどんな結末に到るか?を考えれば、通常は自制が働くモノだけど、それが通用しないというのは、常識や法律よりも自分の衝動が上回る生活が染みついているからに他ならない。
組織や社会で過ごす上での調和や自制といった意識があれば、しょうもない事が事件化するというのは考えられないものである。
正直、義務教育というのは中学迄だけど、人格形成が未熟な十代では、常識、知識、社会経験を積みながらの人格形成にもっと重きを置いた仕組みを社会に根付かせる必要があるような気がする。
話は変わるが、最近はニュース、ワイドショーに限らず色んな番組のMCで芸人さんを見掛ける事が多いけど、個人的には、ニュース等を伝える番組では、伝えるべき情報が発生している世界の常識を等しい高さの目線で冷静に見て、的確な意見が言えるような人選の方が有り難い気がする。ニュース番組等でNHKが面白いのは、やはり、その道のプロたるアナウンサー、解説委員の方々が、その目線で的確に論じているように見えるからだ。話術的、或いは、話の振り的には芸人のスキルは上手いのだろうけど、情報番組では、振りよりも話の方に価値がある筈であり、それよりも目線や知識の方が大事のように思う。
80年代を振り返れば、ニュース、報道番組の司会者構成は、今とは明らかに違っているように思う。
スポーツ番組等々の解説、コメンテーターでも、可能ならば、その世界の経験者、第一人者の人の声や解説は有り難いけど、同じファン目線でギャーギャー騒ぐだけの話は、正直ウザイだけである。
影響力のあるメディアに登場する人に望むのは、やはり手本となるべき知識や常識を身に付け、その上での情報発信を期待したいし、情報を伝えるのであれば、その情報の発生する世界と同じ目線であったり、その世界で経験してきた専門的な目線で情報を伝えて欲しいように思う。
その為には、少なくとも伝える側は、年代に応じて、その年代で身に付けているであろう知識、常識、社会通念をしっかり身に付けて、相応しい人格を持った人であって欲しいような気がする。
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