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2018年5月21日 (月)

昭和63年

映画「孤狼の血」を見に行った。

背景は、広島、呉、昭和63年である。

この昭和63年というと、自身には記憶に残る年。

大学の学部を卒業した年である。この頃は?というと、峠に入り浸り、常連と連んで峠を登ったり下ったりして一日100km以上走る事もあった。

そんな単車ライフを過ごす一方で、当時の大学生活というと、合コン三昧である。大学の研究室の電話を連絡先にして、色んな女子大と合コンをセッティング、週に2~3回のペースで合コンしていた。

当時のコースというと、始まる前に、居酒屋で男だけで腹ごしらえ。その後のコースと言えば、
広島なら薬研堀のワインバーのような洋風居酒屋で一次会、二次会は四十人の盗賊のようなカラオケパブで二次会とか、アービスとかコートダジュール、キサクラブのようなディスコで一次会、二次会はカラオケパブとか、そんなパターンで遊んでいた。
因みに、大学生は住処が東広島、遊ぶところが広島市、、、ということで、エンドレスである。最後は毎回ではないが、鷹野橋とか、加古町とか、そういう宿泊所へ、、、なんて事は普通だったような気もする。
先日、その界隈を車で通ったけど、当時の宿と同じ宿が廃れながらも未だに営業していて、懐かしさを覚えたり、、、
ハズレ日は、ブリンプクラブとか、ビーズバー、ジガーバーで反省会開いたり、酒に飲まれたら、猫まんま、サテンドール等で音楽聞いて酔い冷まして撤収だったり、、、

当時の軍資金は?というと、広島の大学生の定番で、塾講師、家庭教師中心に、薬研堀、流川界隈のショットバー等でバーテンのバイト、カラオケパブでのバイトで補うというパターンだ。

夜の街というと、週に4~5日は出掛けていたような時代だ。

夜の街というと、そういう学生合コンで出る以外は、峠の常連で連んで、二輪、四輪で八丁左回りとか、二輪ではグループ同士の諍いも少なくなかったけど、二輪と○公の喧嘩も結構派手だった。記憶に残っているのは、カマロに乗って水中銃で喧しい二輪を追っかけ回すヤバイ人とか、、、そういう喧噪が強く記憶に残っている。

当時は、流川に繰り出す連中でもグループ通しの諍いで、血だらけになったり、或いは、一晩、檻の中で頭を冷やされたり、、、、そんなのは結構日常である。

自身の記憶では、あの時代が一番印象に残っている時代。

「孤狼の血」では、暴力団対策の法律云々の前夜という話だったけど、時代的には風営法も施行される時期で、ディスコの営業が「G」以外では午前零時で終わったりという時代で、時代が今の時代に移る時期だった記憶がある。

映画で描かれていた当時の喧噪は、記憶の喧噪に近い感じ。路地の奥では暴力も少なくなかったし、大人と子供の喧嘩も普通だった。

この映画、滅茶苦茶面白い。当時の遊んだ街の記憶が蘇る。

因みに、当時大学生だけど、同級生には、映画のモデルになったかも知れない団体に大学出で入った連中も何人かいたし、そういう団体の息子がいたりして、大学生ながら、背伸びした店で遊ばせて貰った記憶もある。当時の記憶を呼び起こすと、、、、会員制の○○クラブ、流川のクラブ○晶あたりは、綺麗なバニーさんや、ホステスさんが印象的。

当時は、そういう所で知り合った後、日を改めてバイクで二ケツして帝釈峡とか、そんなところ迄遊びに行ったりして色んな思い出がある。

あの時代、一番面白かった。

当時の色んな出来事を思い出させる、イイ映画だったように思う。

因みに、こういう時代、一緒に連んだ連中は、今なら50代半ば世代が多い。

残念ながら、今の周りには同じ世代は居ない。チョット下連中だったり、チョット上連中だったりして、こういうバブル前夜の過ごし方をした連中が居ないので、実はチョット違う感があったりする。

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