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2018年8月 3日 (金)

ヒロシマの映画

原爆の日に、が再び製作されてドラマとして放送される。
それに併せて、10年前の『夕凪の街、桜の国』を視聴した。
続いて、2005年のTBS開局50周年の『ひろしま・昭和20年8月6日』を視聴した。
これらの作品は、現代の技術によって作られているためか、非常に綺麗で精彩な映像で構成されているのが特徴。ストーリーも、良く練られている印象。洗練されすぎて、ドラマっぽく為りすぎている印象。
これは、昨年公開されて話題を呼んだ『この世界の片隅に』とは大きく違う。
ただ、『この世界の片隅に』も、やはり少し違う感が否めない。

ということで、過去に入手していた映画を改めて視聴してみた。
映画は2本、モノクロで1952年頃製作された作品で『原爆の子』、『ひろしま』である。
原爆投下後7年で制作されたモノ。映画もドラマというより記録映画的な構成。映し出される風景は、セットではなくリアルなモノ、、、、モノクロで画質は荒いけど、現代に作られたモノと較べるとリアリティによる迫力は較べるまでもない。圧倒的である。
ヒロシマを題材にした映画は何本も作られてきている。何れの映画も入手して何時でも見られるようにしている。しかし、個人的には、1950年代に作られた作品を超えるモノというのは未だに出会った事が無い。

ヒロシマの映画に関心があるのは、広島生まれ、広島育ちというのもあるけど、親が原爆手帳を持っているから、自身は言ってみれば被曝二世でもある。そして、原爆投下後戦後の暮らしの象徴的な太田川沿いのバラック街というのは、映像による記憶だけでなく、実際に、その場を覚えている。
勿論、戦後直後を記憶している筈もない。ただ、小学校低学年の時代、広島市民球場北隣の県立屋内プールに週3日通って水泳を習っていた。昭和45年の頃からだけど、屋内プール北側の道路を挟んで、バラックの駄菓子屋が会ったのを覚えている。それから川沿いにずっと原爆スラム呼ばれた家屋が連なっていた。そこに遊びに行った記憶もある。
大学生に為ったのが昭和50年代後半だけど、工学部四年次に在籍した研究室の指導教官が、三篠に住まいであり、原爆スラムと呼ばれた街で、資源集めのための空き缶プレス機を持っていき住民の方とゴミを集めるという活動をされていたという話も聞いたし、活動が行われていた場所にも行ったりしていた。
その当時の記憶との一致の度合がリアリティの度合として感じる訳だが、1950年代初頭の『ひろしま』、『原爆の子』という作品に較べると、現代のどんなに優れた技術を駆使して製作された作品というのは、リアリティの迫力という面では、何か違うような印象が拭いきれない。
因みに、原爆スラムと呼ばれていた街は、基町高層アパート群として再開発されたけど、この地域からパワーを感じられていたのは1980年代迄かもしれない。今は、高齢化が進み、高層アパートの住人の暮らしを支えた商店街等の多くは活発さを失った状態。住民の高齢化も進んでいる。そんなに遠くない将来、この復興の象徴だった基町高層アパート群も姿を消してしまいそう。次の開発では、戦後の人の暮らしとの関連が全く感じられない何かになるような気もする。

さて、『ひろしま』、『原爆の子』以外のヒロシマ関連の映画を他にも探してみよう。

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