顔と表情と、、、
中高生相手の塾の講師、塾運営を、十数年行ってきた。
自分の塾の生徒は最大で120人近く居た事もある。
塾生としては、相当な人数の子供と接してきたけど、それで身に付いたのは、子供と話しをしたり、表情を見たりすると、コイツは夢を叶える事が成功するタイプ、コイツはダメなタイプという事が、ほぼ100%、言い当てる事が出来るようになった。
さすがに、遠目に見ただけでは、100%とは言いきれないけど、面と向かって一対一で話すと、別に勉強の話をしなくとも、コイツは嘘吐きだとか、適当にその場凌ぎで逃げてきた奴とか、そんな事が何となく見えてくる。
気のせいかもしれないけど、自分の子供と同世代の近所の子供にしても、直接勉強を見た訳ではないが、ここ十数年で、進路予想というか、それは殆ど的中している。
コイツがエライ!と言う事よりも、コイツはダメだ!というのが判る感じである。ダメな奴というのは、本人もそういう空気を出しているし、その親、兄弟といった家族も、ダメダメ感が出ている。不思議なモノである。
ダメな空気、嫌な空気、、、、、基本は、嘘や見栄、虚栄というのが見えるのが、そんな感じ。
嘘、見栄というのは、日頃の生活や物言いで滲み出る。
そういう滲み出るような嘘や見栄というのを生活で塗り固める人というのは、それが通用しない勝負の世界では、メッキや化けの皮が剥がれるのだろう。それ故に、クソみたいな学校だとか職業にしか就けないのかもしれない。
昔、嘘吐きは泥棒の始まりなんて言葉があったけど、見栄張り、嘘吐きというのは、目的を成功させる事が出来ない。目的が達せられないから泥棒とか、そういうのに繋がるのだろう。
見栄と嘘は、夢が適わない。それ故に、劣等感を覆いかくすために、更に、見栄と嘘を塗り重ねる。それが、更に夢を遠のけている。そういう生活には、何か、虚無感が滲み出る。それは、生活であったり言動だったり、行動だったりする。
嘘吐きの生活や言葉には現実感が伴わず、何か、理不尽というか不思議な空気が出てくるもの。それって、自然と見えるのである。
因みに、嘘吐きとか、見栄張りっていうは、度合の違いこそあれ、パッと見ると10~20%は日常に紛れ込んでいるようにも思える。
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