そもそも電子機器は、、、
面倒臭い。パソコン、パソコン通信、インターネット、メール、スマホ、SNS、、、、と、いろいろと電子機器及び、それを使った新しい様式が生まれて久しい。
ただ、、、基本的に、どれも面倒臭いし、極力、そういうモノに投資するのは避けたい。
流行り廃りがあまりにも速く、それに投資するのを躊躇する。色んな機器、色んなサービスが登場しているけど、基本的な部分では不変である。プラットフォームが変わったり、小型化が進んだり、高速化が進んだりして鮮度を保っているだけで、鮮度が落ちれば市場での評価は一気に失われている。
共通するのは、基本は情報のやりとりである。情報というのは、非常に価値がある反面、情報だけでは糞みたいなものである。情報というのは実体に付随して初めて価値が生まれるモノ。逆に言えば、実体が存在しなければ情報は虚構的な存在に過ぎない。
実体と情報を比較すれば、市場評価が乱高下しないのが実体で、情報というのは先述のとおり評価は安定せず、むしろ失われやすい。時間の経過での評価傾向を見ると、希少性等で評価が高まるのは、情報よりも実体の方である場合が多い。
そういう訳で、自身は情報を扱う様式であったり、機器等には、最近は殆ど関心が無い。その必要性の有無の判断は、それを知らずとも生活が成り立つか否かである。知れば便利かもしれないが、知らなくとも不便を感じていなければ、敢えて利用しようという気にならないからだ。その世界において必要最小限と思える範囲の利用に留める場合が多い。
そもそも、情報というのが便利そうにみえるけど、情報というのは本来溢れて存在しているもの。電子デバイスで提供される情報というのは、多様な情報から利用者にとって必要だと思われる情報を抽出したもので、情報の大事さというのは、実は抽出した情報ではなく、情報を抽出する思考であったり判断力の部分である。そう考えると、便利すぎる機器を利用することで情報の判断力を失うというのが、一番恐いような気もするのである。
何処まで利用するか?という部分の境界をしっかり判断しなければ、そういう機器が無ければ何も出来なくなる可能性を感じる事が多い。そういう意味で、そう言うモノの利用は最小限に留めるというのが基本的な考え方となっている。まぁ、時代遅れかもしれないが、必要性の判断は、他人が利用しているからというのではなく、自身の行動における不満の解消が見込めるからという判断が必要。勿論、メリットを受ければデメリットも発生するので、そのメリットとデメリットの評価の比較の上、採用するかどうか?を決める事が大事だろう。
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