地域、時代と共にスクラップ&ビルドが繰り返され変貌していく。その変貌を進化と捉えるか否かは判断の分かれるところ。
ただ自身の判断からすれば、時代に併せた街の変貌を見て、それが進化とは捉えづらいというのが偽らざる感想である。
先日、日々更新のブログには、広島大学旧理学部一号館のニュースを見て感じた事を掲載したけど、広島大学旧理学部一号館がある現在の広島大学跡地周辺と、広島大学が東千田キャンパスに本部を構えていた時代の大学周辺を比較すると、街が進化したか?と言えば、個人的には街が寂れてしまったという風な印象が強い。
広島大学旧理学部一号館、自身にとってはブログにも記事にしたように昭和59~60年に原田耕三教授が講義を行っていた有機化学Ⅰ・Ⅱを受講した建物。この理学部の建物から森戸道路という正門迄一本のメインストリートが通っていた。その両サイド総合科学部、法学部、経済学部の校舎が建っており、法学部、経済学部の背面に運動場グランドが備わっていたのがレイアウトである。森戸道路は、新入生歓迎の頃には両サイドに部活の店出しがあって新入部員の勧誘で活況を呈していた。因みに、理学部の隣が文学部、その隣が運動部の部屋が点在しており、大学の敷地の隅といえば、使われなくなったバスを利用した倉庫、雑木等々があったりしたように思う。自身も大学の敷地隅々迄は探索した記憶は無い。また、学部校舎の間には食堂が点在しており、いつも混雑していた記憶がある。大学の建物と言えば、総合科学部の大講義室が円形の特徴的な建物であり、受講者の多い授業が開講されており、単位取得が簡単と評判の福岡教授の環境地理学、式部教授の倫理学が有名だった。正門の両サイドをみれば、南隣が大学会館、喫茶部、北隣が池を介して体育館が配置されていた。
また、大学周辺は、学生街らしく喫茶店、食堂、レンタルCD、古本屋、自転車屋、バイク屋が軒を連ねて一日中学生が往来した活気ある街を作っていたのを記憶している。
東千田キャンパスと隣接した敷地に工学部が存在したけど、工学部は昭和57年に西条キャンパスに移転し、工学部跡地は昭和59年当時、アーチェリー部等の部活で敷地が利用されていた記憶がある。
そんな大学だけど、移転が進み平成の始めには移転が完了し、旧理学部一号館も平成三年を最後に使われなくなっている。移転後の広島大学の跡地は、校舎の取り壊し後には、グリーンフェスティバルというイベントが開催された後には広大な跡地として残っており、跡地利用としては、マンションだの、ショッピングセンターだのの話は出てきたけど、結局、マンションが出来ただけで、地域は非常に寂れた状態となり今に至っている。
勿論、広島大学が新たに移転した東広島市では大学周辺に学生街が整備されて一つの街として賑わっているのだが、一方で広島大学が出ていった千田町の衰退度合は目を覆いたくなる状況としか見えない。
広島市の再開発といえば、大きな施設を移転させて再開発というのがパターンだけど、広島大学以外で言えば、広島空港の移転も平成期の大きな出来事だ。旧広島空港は太田川放水路の河川敷に相当する部分に作られた空港であり、末期には国際線も運行されており、規模は小さいながらも都心へのアクセスの優れた利用者の多い空港だったのである。
ジェット旅客機としてはボーイング737が就航していた筈で、平成3年には広島空港発北海道行きのボーイング737に搭乗したのを覚えている。
広島空港が存在していた頃、周辺は大企業の工場研究所、それから運転免許試験場、自動車学校が存在し、大きな敷地を要する施設が集まっていたのだが、広島空港移転後は、跡地が広島西飛行場となりローカル空港となった後はヘリポートとなって、空港施設は閉鎖、余った敷地がマリーナホップというアウトレットパークがオープンするも賑わう事もなく、生ける廃墟状態となっている。運転免許試験場は移転、それに伴って自動車学校も閉鎖されて、広大な土地が遊んだ状態になって久しい。マリーナホップには、二輪四輪の中古車店が開業、パーツショップが出来たくらいで、祝日のイベントには改造車が集まるという状況であり、普通の人には縁のない地域として変貌しているのが現状である。
国際線も乗り入れていた広島空港という空の拠点であった地域は、今や広大の土地を持て余した車マニアの集まる場所というのが現状である。
空の拠点がそんな状況なら陸路鉄道の拠点である広島駅周辺はどうか?といえば、再開発と言うことで背の高いビルが建ったけど、地域性が其処にある再開発か?といえば、正直、微妙な感じである。
広島駅周辺といえば、戦後の復興で地域を牽引した下町的な愛友市場を隣に控え昔ながらの小さな商店が密集した地域だったけど、駅周辺部はブロック毎に再開発が為されている。現在、福屋駅前店のある場所は、昭和末期は広島百貨店、ダイエーが店舗を構え、大通りに面した道沿いには、本屋、カレー屋、銀行、その他小売店が店を連ねていたけど、今は福屋駅前店がドンとあるだけだ。また、現在ビックカメラが入る高層ビルのある界隈は、広島総合銀行、眼鏡屋、ジーンズショップ、玩具屋等があり多様性に溢れていた。また、エディオン蔦屋家電の入る高層ビルのある地域は、飲食店、娯楽、書籍、、、とやはり多様な店舗が集まった地域だった。
まぁ、雑然としていた場所が、大きな高層建物と大きな電気店に様変わりしている状態だ。確かに、見た目は綺麗だけど、地域の多様性は無くなっており、個人的な印象としては、家電店を其処まで増やして何を買う?というのが正直な感想。
実際、出来てから一回出掛けただけで、それ以来、一度も行ってない。
広島駅北口の状況は?といえば、医療関係の建物、テレビ局、警察署、スーパーマーケットが建っており、現在は広島高速5号線二葉山トンネルの出口が開発されている状況だけど、昔は、JRの宿舎、鉄道病院の拡がる地域だけど、地域全体のカラーとしては二葉山沿いに展開する数多くの寺社を尋ねるに相応しい自然の溢れる街並みだったのに較べると大きく変貌している。
また、自分の住んでいる町はどうか?というと、正直、昔の方が住みやすい過ごしやすい、そして、優しい街だったような気がする。
広島市の牛田といえば、市内中心部ではなく、広島市三角州を作る太田川の外側東隣に拡がる町。今は広島市の住宅地というポジションだけど、昔は牛田だけで完結する一つの町だった。旧メインストリート沿いには、小さいながらも一通りの商店、施設が建ち並んでいた。初期には、各種病院、薬局、不動産、飲食店、洋菓子店、和菓子屋、駄菓子屋、八百屋、魚屋、呉服問屋、美容院、理髪店、本屋、入浴施設、飲み屋、自転車屋、バイク屋、車のディーラー、修理工場、工具屋、雑貨屋、時計屋、古本屋、貸し漫画屋、そして映画館、勿論、学校、幼稚園、インターナショナルスクール、学習塾、企業の宿舎、各種運動施設(テニスコート等)、、全部揃いである。それに田んぼ、畑が各所に拡がり、地主さんも居たけど、普通の民家の戸建てが立ち並ぶ昔ながらの町である。町の中で全てが完結して生活できるのが特徴。
しかし、市北部と広島中心部を直接的に結ぶ道路の整備事業に併せ牛田町内も再開発が進むと、小さな店舗は殆ど無くなった。本屋は消えたし、地元の小さな商店も殆ど消えた。最近は殆ど全種類あった病院も激減している。修理工場、車のディーラーは消えたし、酒屋も残り僅か。映画館なんぞ十の昔に消えている。小さな戸建て住宅は殆ど消えて、そういう住宅を纏めた大きな豪邸が点在して、高い塀に囲まれてベンツ、BMWといった外車に乗る家が増えた感じ。狭い路地を、高級車が一方通行無視して高いスピードで走り回ったり、、、そんな感じ。決して、高級住宅街では無かったのだけど、勘違いか何かで、高級住宅街と思って成金的な家が増えてきた感じである。金持ちは増えたかも知れないが、町の品は無くなっている印象。自身、地域に50年以上暮らしているけど、高級車率が増えて、住宅規模が大きくなった反面、昔ながらの店舗等が消えている。勿論、町内だけで生活することは不可能で、住むだけで買い物は外で行うというパターンである。牛田の変貌は自身からすれば激しすぎる印象。
将来的には、地域を出てもう少し完結して暮らせる町に引っ越したい気持ちの方が大きい。一見、金持ちが多いのかもしれないけど、真の金持ち的ではないのが特徴。中途半端な高価格車が多く、昔ながらの商店を営む知り合いと話しをしたりすると、結構、値切りが厳しく、会費等の金払いも宜しくないという話が多く、背伸びして住んでる感、背伸びして車買ってる感が多いとも聞いたりする。
世間の平均給与が如何ほどかしらないけど、平均年収は?といえば、国内は最近の十年は400万円台。勿論、地域の平均年収が如何ほどかは知らないけど、それでも1000万円は超えてないだろう。しかし、外車率、大型ミニバン率は異様に高い。ホントの金持ちなら生活に品があるだろうけど、そういう品が無いのが特徴。車自体、大抵は下品なカスタムがされている率が高いのもNGポイント。
このような町の変貌ぶりは牛田に限らない。身近な場所ならば、広島市中心部、比治山界隈の段原地区も然りである。段原地区も再開発ということで昔の町並みは消滅。今は整備された通りが横切る町だけど、何があるか?といえば、車の往来が激しくなったけど、町に停まる事は皆無。寂れた商店とコインパーキングばかり。魅力の無い地域になっている。
南部地域に行くと、黄金山界隈の旭町、大河町界隈も道路が拡幅されている。そして、車が通行するだけで、途中で停まらない。結果的に道路は広いけど、町からは何も無くなるというパターン。旭町には4歳頃まで住んでおり記憶があるけど、昔の方が遙かに魅力的だったように思う。今、その周辺に出向くと、何もない道路しか印象にない町となっている。
広島市の再開発というのは、道路を広げるのが基本。道路を広げると、車の往来は増えて通行量は増えるけど、通行するだけで地域に人は留まらない。結果、地域は広い道路が残っても町は寂れる、、、、そういうパターン。広い道路の向かう先は何か?といえば、マンション、それから地域特有の施設、大学、飛行場、工場が移転後に出来た何処にでもあるようなショッピングモール、、、、そんな感じ。
広島自体、地域の特徴のある施設が随分と減ったような気がするし、町には不可欠な最高学府、大学が無くなっている。大学の無い町、遠方とのアクセス拠点である空港の無い町である。残ったのは、ショッピングモール、、、、一見、ショッピングモールと言えば人が集まりそうだけど、中は小売店舗の集合。そして扱うモノは、全国何処でも手に入るモノばかり、、、ショッピングモール内の店舗等に存在の必然性は無い。各地域に点在していた伝統的な店舗は消えて、汎用的な商店がショッピングモールに集まっているだけ。
結果的にショッピングモール内の店舗は短期間で入れ代わっている。つまり、集客出来ないのである。全てのショッピングモールが盛況か?といえば、新しいモールがオープンすれば、少し古いモールは閑古鳥状態である。
正直、こんな町に魅力があるか?といえば、、、、殆ど厳しい印象。
現在、広島といえば、カープで保っているようなモノ。カープが移転してきたマツダスタジアム周辺は確かに町として繁栄しているけど、それだけ。町の力というよりも、カープの力だろう。
市民球場が移転してマツダスタジアム周辺は盛況だけど、旧市民球場跡地は?といえば、広大な空き地で、良く判らないイベントが開催される程度。広場といえば、市内中心部の中央公園も広島市ど真ん中に大きな空き地である。
広島の再開発といえば、広い道路+広大な空き地+ショッピングモールというパターンである。そして、地域毎にあった昔ながらの商店が殆ど消えてしまった、、、、そんな感じ。
再開発というのは、工事業者、行政執行者の懐を潤わせるために行っている感が非常に強い。
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