ABS
今時のバイク、ABSがほぼ標準装備。まぁ、義務化の流れだから仕方ない。
ただ、先日、ABS装備の新しいNinja250に乗ってみたけど、ABSは個人的には嫌いだな。
ABSといえば、大昔、後付けの機械式ABSブレーキが在ったけど、未だ、あっちの方がマシ。
単車といえば、前後独立で制動操作が出来る自由度が売りというか、メリットである。状況に応じて前後配分を変える。また、状況に応じて敢えてロックさせる、、、それが出来るのがメリットのように思うのだが、ABSっていうのは、前後配分の自由度こそ残れど、制動力の加減の自由度が奪われる。
CX、ガンマでは何度か経験した事があるけど、スキール音を出しながらフォークを目一杯沈めてロック気味での急制動を経験した事があるけど、そういう状態からのリリースによるグリップの回復を含め、そういう微妙なコントロールこそが二輪の醍醐味とも言える。
ABSでフル制動させたら、もっと減速加速度を稼ぎたいと思っているのに、抜けて空走する感覚が、四輪と同じく表れる。この介入は正直ウザイ。ウザイというか怖いのだ。
意図的にロックさせようするとABSが介入し、予想する減速度ではない状態で空走して進むのである。体感としてはブレーキが掛かっていない状態を感じるのだ。これ、一種の恐怖でしかない、、、、四輪でも感じる恐さと同じもの。その違和感が身体を硬直させるのだ。未だロックした方が、身体の自由が残っている分、操作が可能なのだ。
四輪もABSはキャンセルさせたい位。それでも四輪では日常の操作自体が穏やかだからABSによる介入を感じる事は稀だけど、二輪では、チョット活発に操作するだけで介入を感じてしまう。
そもそも、ブレーキは最終的にロックするもの。制動操作の力に応じて制動力、減速加速度を身体が覚えている。操作と感じ方の連動は極めて重要なのだが、介入があると、その連動が崩れる。瞬間的に頭の中では理解出来なくなる。これが恐さの理由だ。
ただ、凍結路面、ウェット路面での制動では効果を認めるのも事実。出来れば、そういう低摩擦路面限定だけで機能するような方が有り難い。少なくとも、承知の上でロックさせたい扱い場面も在る訳で、そういう時はキャンセルしたいモノである。
IMU何てデバイスは、在ってもなくても介入するレベルに到達させる事は無さそうだから関係無いと思うけど、ABSについては兎に角邪魔、、、、そんな印象である。
関係無いけど、エンスト防止にアクセル操作とは関係無しに回転数を上げるスタートアシストも違和感アリアリである。人間の操作外の動きは邪魔過ぎるのだ。
ただ、最近は、ABS装備で安心!って意見も少なく無いようで、世代ギャップを感じる事が多い。
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