働くモチベーション
年齢と共に変化するようだ。20代、30代前半の頃は、儲けたいという意識は殆ど無し。何が働くモチベーションとなっていたか?というと、面白いからやりたい、、、、それに尽きる。
自身を振り返れば、塾運営をしていた頃だ。塾で講師をしたり、マネジメントをしたり、そういう事が実に楽しかった記憶がある。儲けたいから塾をやるという意識は殆ど無しだ。何か、新しい事をする。それを職とする。その場合に一番活力を与えてくれるのは、それに面白さを感じるかどうかに掛かっている。
この年齢の頃のモチベーション、それは面白いということ。これが大事。
しかし、30代後半から40代前半となってくると変わってくる。面白いから、その道に進む、、、とはならない。現実的な暮らしを支えるためとか、自分の趣味的欲求を満たすために必要なのは、実利優先である。面白いかどうか?よりも、稼げるかどうか?が大事である。
好きでなくとも、納得出来る収入が得られるならOKという考え方だ。金さえ稼ぐ事が出来れば、後は、少々目を瞑っても良いという考えだ。
ただ、40代後半を過ぎ、50代に差し掛かってくると、儲かれば、やりたくない事をしてもOKか?というと、そういう事を思わなくなってくる。
儲かれば、何しても良いか?というと、それも有り得ないとなってくる。
儲ける前に、ホントに必要とされている技術を提供したり、そういう部分で社会の活動を手伝いたいという欲求が出てくる。昨今の企業では、組織ぐるみの不祥事、不正、擬装、改竄があるけど、そういう不正に手を貸すというのは、有り得ないという意識になる。
生活するに十分な稼ぎがあるから、顧客を騙すような製品性能を改竄して儲ける所から給料を貰って過ごすと言う事自体に後ろめたさを感じるようになってくるのである。
自分の場合、そこそこの収入があっても、組織としての不正を知っていると、それ自体が許せなくなってくるのである。
結果として、50代を目前にする頃からは、妥協を排し、信念に従った真実のみで作り上げた技術を提供する会社を立ち上げて、それを通して技術を広めるように務めている。
ただ、50代になると、30代の頃の、先ずは報酬という意識、儲けたい意欲が希薄になってしまっているのが問題。
働くのは、残り数年である。基本、理系である。工学部出身ということで、基本は物作りが生業だろう。その世界で、性能や品質といったものを誤魔化さず、改竄、擬装しないでホントに正しいモノを世の中に提供するという形で労働者人生の幕を閉じたいと思う今日この頃。この記事の公開は、丁度年明け正月時だ。新しい年の目標としては、信念にしたがって、改竄、擬装を黙認するような製造業とは違うフィールドを探し出す事としたい。
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