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2019年10月 1日 (火)

これは芸術性か?

トリエンナーレ、興味は無いけど揉めているようだ。
韓国の少女像の展示、これを展示することが表現の自由なんだろうか?
そもそも、この少女像、如何に生まれて如何に展示されて如何なる問題を撒き散らしているか?を考えるべき。慰安婦論争が行われている状況で、その問題の真実がどうか?が議論される前に、現状、その像自体が一方の主張を展開するためのアイテムとしかなっていない状況で、そのアイテムを表現の自由の芸術作品として扱うか?も非常に怪しい。公的な美術館で、怪しい商品のCMや灰色商法の勧誘を行っているような感じ。百歩譲っても、それを展示することによる影響を考慮すると、少なくとも公的な催しで展示するのは間違っているような印象。

また、天皇の肖像をバーナーで燃やして灰を踏みつける、、、、これを芸術的な表現とするのも不思議。
ただ、広い目でみると、半島のハンの文化というと、こういう表現を文化的表現とする国の特徴という意味で表現するならば、アリのような気がする。

半島に限らないが、デモ行進で、一刻の指導者の肖像を燃やしたり、似顔絵を攻撃したり、他国の国旗を燃やしたり、、、、あれって、非常に見苦しい。デモにおける表現としては、デモ参加者の低俗性を全世界に発信しているようにしか見えないのだが、そういう行動を良しとする国民性は、肖像をバーナーで燃やすという表現に違和感を持たない人格の上に成り立っているように見える。

しかし、芸術、表現の自由という部分に、政治性が入りすぎるのは考え物。

少なくとも、こういう前歴を作ったので在れば、来年以降は開催を何処で誰が主催して行うか?を考えて行うべきだろう。

肖像画を燃やすとか、、、表現者は自分の祖父、実父の遺影が燃やされて踏みつけられるパフォーマンスを公の場で見せ物として行われる事に対する意識が回らないのだろうか?天皇かどうか以前を議論する前に、表現者の人格が人間として有り得ない。そういう人格が国家による教育に起因して作り上げられたモノだとすれば、そういう国家は国家として有り得ない気もする。

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