« ロングホイールベース、低重心 | トップページ | 最近の車幅と税額 »

2019年12月17日 (火)

フクシマ50

先日、講演会で、表題の映画の原作者の講演があった。講演会の内容は、、、フクシマ50、是非、見に来てね!的な話。ストーリーは東日本大震災で発生した津波で壊滅的な被害を受けた原発を危機一髪ですくったスタッフの涙の物語、彼らの活躍があったから東日本、いや、日本がすくわれたという話。そして、朝日新聞、毎日新聞がクソだという話、、、
話は1.5時間の予定が大幅に延びて2時間。内容は、、、自身が自分の小説のストーリーを読み上げる事を何度も繰り返しながらだから、内容は薄い。話の進行が遅い。

よく考えたら、本人は当事者ではない。当事者を取材して聞いた話である。なのに、当事者に成り代わってセリフを雄叫びをあげて説明する。気持が入ってない。そんな講演の中で、話の流れの中で随所に、既存メディアに洗脳されている?国民に注意を促し、諸悪の根元は新聞、メディア、、、、という論調。

正直、聞いていてウンザリ。

特定のメディアへの意見、非難、それは言いたい事は判るけど、言うべきでない。

それから、原発をすくったスタッフの活動については判らないではないけど、ちょっと美化しすぎ。話をそこで留めておけば良いけど、その先は、原発容認的な感じが強く伺える。

聞きながら、この人、超右?っていうのが感想である。

で、実際に調べてみると、超右で現政権賛同主義者的な人、、、ただ、問題は、この人の話を創立記念講演の講演者に選んだということ。一寸、、、、有り得ない。

これは、これに賛同する人が聞けば良い話のように思う。原発を危機から救った的な話は聞くけど、当時を思い出すと、初期段階における海水注入を躊躇して冷却が遅れた。初期段階の躊躇は、海水を炉内に入れると再生不可能となるので、時の経営陣が判断できなかったとか、、、、あるいは、危機対応で電源が失われてもクーラーで冷却出来るシステムがあったけど、使った事がないとか、オペレーティングミスで、その第三の冷却システムを途中の誤操作で運用出来なくなってしまったとか、そういう話である。

そもそも裁判で取り上げられていたように危機対応を時の経営陣は軽視して対策を取らなかったとか、そういう話もある。

そういう前提で考えれば、危機的対応を余儀なくされたのは、それまでの後手後手対応の東電側の姿勢であり、部外者からみれば、それって、当事者は大変だっただろうけど、企業組織としては、時間が過ぎたからといって一方的に褒め称えるような事だったのか?は少々疑問である。当時の地震と津波が予測困難かどうか以前に、その事象が生じた時の対応にミスがあり、万が一の対応策に不備があったのが最大の問題であり、対応ミスと不備による対応不能が招いた事をしっかり認識した上で、当事者の行動をドキュメンタリー的に伝えるなら兎も角、それに乗っかって、他のメディア批判を行うのは有り得ない。

映画は面白いかも知れないが、個人的には、この映画だけは、絶対に見に行かない。

誘われても、、、ノーサンキューである。原作者の思想偏向の度が過ぎている。

福島第1原発による被害、相当に甚大だったのは確か。そして、その地域に住む人が不自由な暮らしを余儀なくされているのは非常に心が痛むのも確か。
特に、原発補助金の恩恵を受けることなく被害だけ被った地域の人達は特に気の毒。

個人的には、原発対策していても、結局は対策出来なかったという事実である。最悪、東日本が壊滅していたかもしれないなら、、、、それなら、何故に原発廃止に舵を取らないのか?が不思議。

ところで、このような事実をベースにした映画、それは戦争映画も含むけど、基本的に好きでない。それは制作者、原作者の思想的歪曲や一方への肩入れ等が入ってしまうから。

こういうのはドキュメンタリーフィルムだけでよい。あたかも事実のように映画で物語りを作る、、、こういうのは間違った思想、偏った思想を広めるリスクがある。

ダメだ。

仮に、これを題材にする映画なら、地震発生前の堤防かさ上げ議論がもみ消されてしまったとか、災害発生直後の災害対応マニュアルに則った対応が出来ていたか?反省点は無かったか?とか、その時の経営判断で行った海水注入の遅れを来したホントの理由は何だったのか?とか、そういう事実に基づいた反省点を明らかにする事で、同じ事故の再発を防ぐように作るべきだろう。

彼らが頑張ったから日本がすくわれた!めでたし、めでたし、、、ではない筈だ。

少なくとも、これは部外のジャーナリストが行うべきではないような気もする。本来なら時の経営者、当事者が懺悔的に作るべきのようにも思う。

今回の講演会、日本の歴史を学ぶ、、、も一つだろうけど、判ったのは、時間が過ぎた事件、事故、災害を美化して、みんなが頑張ったから今幸せがあるんだぞ!的な美化し過ぎストーリーが、時代が変わっても出来るところが歴史かな?

原発事故については、事故前対応策の無策状態とか、異常時対応の迷走とか、そっちの方が問題。利益優先的対応の果てにしか過ぎない気もする。

ぶっちゃけ、太平洋戦争の起こった頃と戦後の声とかも、彼の話を聞くとオーバーラップさせられる。

どうも、違う気がする。

|

« ロングホイールベース、低重心 | トップページ | 最近の車幅と税額 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ロングホイールベース、低重心 | トップページ | 最近の車幅と税額 »