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2020年2月12日 (水)

昔の峠仲間

殆ど面識無い。そもそも、何処に住んでいるか?も知らない。そういう関係性だったけど、良く一緒に遊んだのは事実。
峠に出掛ける。走っていると、誰かがやってくる。走り続けると、馴染みの顔が揃う。それで、暫く走る。そして、各々が好き好きな時間に解散していく。
そんな感じ。
夜中の気温が高い時は、午後11時くらいに人数が集まると、それから余所の峠に遠征に行くパターン。遠征に限らず、適当に目的地が在って無いようなツーリング。朝になったら解散というパターンだ。

単車とメットは覚えているけど、ライダーが何処の誰で、名前は?年齢は?は殆ど不明である。

それでも、そこそこ仲が良かったのは事実だ。

まぁ、暇だったんだろう。行くところが無いから峠に行って走っていると誰かが集まる。そして走る。それの繰り返しである。時代的には1984~1991年頃だ。記憶によると、少なくとも1990年迄は峠で仲間を作るレーシングチームのような存在は無かったように思う。そういう束ねが生まれたのは恐らく1991年以降だろう。ヘルメットの後に尻尾をぶら下げる時代以降だったように思う。年齢は17~24歳くらいが多かったように思うけど、20歳前後が一番多かったように思う。フルフェイス、グラブ、ブーツは当然。革パン、ツナギは少数派でジーンズが多かったように思う。上着はナイロンのスイングトップ、KISSとかが多かったように思う。若年故に金が無い人が多く、常連系は型落ちモデルが多かった。当時最新の400レプリカも居たけど、常連的に速い人は殆ど居なかった。型落ちのRZ、SRX、レプリカ直前のマルチとかが多く、99%、セパハン、バックステップは変更されており70%以上が集合、チャンバーが装着されていた。そんな時代だ。

常連といえば、基本は個の集合というパターン。そういう時代だった。

ただ、行きつけのバイク屋が同じになって、ショップ主催のサーキットの走行会とか、そういうのには連んで参加していた。その際、名前は書いた筈だけど、名前は全く覚えていない。峠の常連ってのはそんな感じ。それ故に、時代的に近い結束力の強い暴走族とは全く違う。そもそも連れが何処の誰か?が判らないのである。揃いの○○、、、、そういう馴れ合い的な交流も全くなかったように思う。それでも、不思議と常連繋がりってのは妙な結束力だけはあったように思う。

その時代の峠という空間だけでの繋がり、、、、そんな繋がりだ。

ただ、これに近い空気感は、最近続けている早朝のピストバイクライドで出会う馴染みのサイクリストとは似た感じだ。名前も何も知らないけど、会えば挨拶するし、同じ瞬間に出会せば併走することもある。ただ、それ以上の付き合いは無しである。

こういう場所と時間と目的だけ共有する繋がり、、、馴れ合いとは違う意味で嫌いじゃない。]

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http://replica2st.la.coocan.jp/etc/80jouren.htm

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