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2020年2月20日 (木)

角目のZ250FT

これ、十代で大腿骨複雑骨折事故時に乗っていたCB400D SuperHawkⅢの次に買った復帰一号機にして、十代最後の愛車。
事故によって金が無く、買えたバイクがコレだけだった。値段は当時で156,000円だ。それまで、Z400FXとかGSX400FS、CB400Dと当時的にパワーのある単車にステップアップしていたけど、初のクラスダウンの愛車。
まぁ、何でも良かったのと、心の中でカワサキ党だったので納得の愛車である。
購入は大学そばの広島オートバイ販売平野店だ。Z250FTでも1982年式、最終モデルで角目ハロゲンヘッドライト、それからトランジスタ点火のモデルだ。
これに、松葉杖ホルダーをリアシート横に装着して松葉杖を搭載して乗っていたもの。
松葉杖が外れても大腿骨には金属プレートが入ったままだったけど、これで峠を攻めていた。因みに、このバイク、最初にセンタースタンドを擦る。さらに寝かせるとスタンドを軸に後輪が浮く。そして駒のようにスライド回転する。これが面白くて意図的に何度もやって遊んでいる内に、センタースタンドの接地部が削れて無くなってスタンドが使えなくなる。そこでスタンドを外すとステップが邪魔になる。そこで、今は無き南海部品広島店が出来た時にセレクトのバックステップを購入して装着。
すると、エキパイが削れて穴が開く、、、、そこで、セレクトの集合管を装着、、、、

これで当時の畑賀を走っていると、当時の常連組から誘われるようになり、仲良しになった思い出の一台。
最初に走った常連さんは未だに覚えている。黒のZ750GP、MBX125F、片山レプリカメットのVT250Fの三台だ。彼らの切れた走り、鬼のようなバンク角は今でも鮮明に覚えているけど、繰り返し後を走っていく内に、普通に走れるようになったのである。

その後、鬼のように峠を走りまくった結果、常用12,000rpmで走り続けるとヘッドからのオイル漏れが止まらなくなる。腰下からの異音が激しくなる、、、雨の日に止まる、、、といった状況に陥り寿命が尽きたのである。

XZ400Dが人に知られる切っ掛けになったバイクだけど、Z250FTは、自分が選ぶべきバイクは何か?を決めさせたバイクである。この時以来、幅の広いバイクはダメという考え方。買うなら足下タイトでバンク角が深いのが大事という選択が最重要となったのである。パワーは二の次という考え方であり、それが次のXZ400Dに繋がったといえる。そういう意味では思い出深いバイクだ。

ただ、この頃からカワサキのツインはボロイ?って先入観も持つ事になる。その後、GPZ250Rに乗るもエンジンは直ぐに白煙を吐き廃車。GPX250Rも同じ。ハッキリ言って弱すぎる。GPZ400Sはパワフルだったけど、これも腰下からの異音が出て廃車。その後、チューンドバイクといえる輸出用305cc化した海田クレヨン仕様のGPZ250ベルト改305に乗ったけど、これも半年でアウト。ガンマ修理中でツーリングで使ったけど、GPZ900R、FZR400、ドカティ900SSの連れと一緒に峠を攻めて高速乗って帰宅したら、翌日、エンジンが掛からなくなった。開けてみると、リングが棚落ちしてた。腰下もガタガタ、、、結局、高回転連続運転に耐えられないのだ。

これ以来、カワサキのツインは乗っていない。っていうか、買う気がしない。

今後紹介するけど、カワサキのCS250の2台のったけど、これもビッグエンドのベアリングが謳って廃車、、、、カワサキの小さいの、腰下が弱すぎる。

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