結構話題。出すべきか?出さざるべきか?議論噴出中だ。
印象としては、マスコミがヒステリック、テレ朝の玉川氏のヒステリックな物言い、見ただけでチャンネル変えてしまう。
これを出さないから感染が広がる、、、、これも違和感。
宣言以前に各国の状況から、人同士の接触が一番リスキーってのは判っている。
それでも歓楽街に繰り出して風俗関連で楽しんだり、連休を謳歌。海外旅行を強行、、、一言で言えば、平和ボケの個人の意識の低さが問題。宣言出そうが出すまいが、出来る事は同じ。宣言が出ないから活動停止出来ないと言っている時点でアホだろう。
今出す必要があるか?というと、個人的には出来る事に差異が無いなら意味は無いような気もする。
それよりも、対策の指針を変える事を名言していく方が良いような気もする。
軽症感染者、安易行動感染者が医療を圧迫させないような扱い、つまり個別隔離を止める方針を打ち出す方が良いのではなかろうか?
空気感を変えるのが大事だけど、脅し的な文言で緊急事態宣言云々を言えば、マスク騒動の如く、買い占め等も起こりかねないし、期限付き宣言を出した後にそれを取り下げるタイミングも非常に難しい気もする。
マスコミ、野党は取り敢えず反論ばかり行ってるようにしか見えない。
例えば、テレビ番組で街角取材でも、例の三連休中だろうけど、にこやかに雑踏の中で活動するインタビュアー、テレビ等メディアの対応の方がアホでは?とも思う。
少なくとも、そういう感じで番組を構成していたのはマスコミ側であり、何言ってるの?的な印象。
フェーズが変わった云々でPCR検査を増やせという話もあるけど、大事なのは感染者ではなかろう。検査率が各国でバラバラな状況では、検査がすべてと捉えるよりも、社会を構成する人口中における死者数、死者率の方が大事なように思う。そのためには検査を受ける前に各人が健康留意するのが大事。正直、体温計で毎日測れ!が有効なように思う。毎日体温測って平熱を上回ったり、咳が出れば、大人しくしろで良いのではないだろうか?その上で、休業を要請すれば良い。この休業時賃金補償を雇用主に行って雇用解除を禁止すればよいのではなかろうか?
ヒステリックに緊急事態宣言とか、全数PCR検査とか言うのは違うような気もする。
ただ、今回の新型コロナウイルス、正直、これで感染して仮に命を落としても個人的には、まぁ、仕方ないかな?とも思う。それはそれでしょうがない。
更に大きく言えば、これが世界に蔓延するのも、或る意味、大きなシステムが機能を守るための必然か?とも思える程。
医療の進歩で高齢化社会が進む。医療で生かされている人が増えているだけ。更に、良く判らない実体を伴わないサービス、娯楽で富が形成される。それに人が集まる。そして格差が拡大する。これが今の世の中。
そして、新しい感染症は、抵抗力、免疫力が低下した人がリスクに晒されるとか、密集、密接、密着の度合が強い程感染しやすいとか、、、考えてみれば、過度な延命とか過度な密接がリスク因子となる。
感染症一過すれば、もしかしたら、そういう集団の相当数が間引かれているかもしれない。不適切かもしれないが、地球システムが維持出来る人数を求めての結果とも言えなくもない。
緊急事態宣言如何関係無しに、危機を感知するのが普通。それが判らず、密集、密接、密着場所で感染するってのは、正直自業自得とも言える。地方からライブ会場に集まって、感染して地方に帰って自宅や職場で感染を広める、、、自業自得とも言える。危機意識の無い人が家庭に帰って親族に感染させる。意識の無い人が意識の無い人を育てた家庭、そんな人を雇った組織で感染を拡大させる。そういう意識の低い人の多い割合のコミュニティー程、感染リスクが高く消滅の危機にさらされる。それも仕方ないのかもしれない。仮に自分の家族が感染させられて、自分が感染して危機にさらされるのも仕方ない。或いは、自分の職場で感染が広がって感染したとしても、そういう人が属する組織に入った自分の脳の無さにも責任の一端があるとも思える。
防御意識の高い家庭は守られ、そういう人の多い組織が生き残る。これも道理といえるだろう。
つまり、感染によって人が減り、組織が消滅する、業種も数が調整される、、、それは、システム内の構成バランスを適正化させるための作用が働いた結果?とも考えられない事もない。
この対応で社会が、経済を圧迫し、経済活動が停止されることで、経済の血流とも言える富の再分配が滞り、血流停滞で細胞が壊死するように、経済停滞で活動が停止された業種が淘汰されるのか?とも思える。
どの組織の細胞が残るか否か?っていうのは、社会と属する人の延命状態にも関連付けて見えても不思議でない。
この騒動が一過した後の方が、人間社会というシステムからすれば健全な形なのかもしれない。
細胞が生き残るかどうか?というのは、免疫が機能するかどうか?
個人が生き残るかどうか?というのは、自粛意識が作用するかどうか?或いは、基礎免疫が高いか否か?でもある。出来る事を行う意識というのは、淘汰条件に合致しているかどうか?で、正直、緊急事態宣言がどうだこうだっていうのは、どうでも良いと思う。
過去に繁栄していた恐竜が滅びたり、或いは、人類は歴史の中で、感染症なり、戦争なり、自然災害といった災害に晒されてきた。自然災害だけでない。経済的な変動による様々な影響も受けてきている。そういう変動を経る事で、システムというか人間の生態系は強化されてきている。その試練なのか?という気がしないではない。
平和ぼけ、自己中心主義、危機意識欠如、、、、そういう緩んだ何かが増えすぎている現状に調整が働いているような気もする。
社会の防衛としての緊急事態宣言、ホントは、こんな事を宣言しなくとも、防衛本能、生存本能があれば自衛的に活動するのが当然であり、それが出来ない状態を緊急事態宣言が無いから、、、、そういう論理自体が個人的には違和感を感じる。
宣言如何に関わらず空気感を感じて行動するのが普通の人間なんだがなぁ、、、
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