原付スポーツの次
こういう言葉を聞かなくなって久しい。
自身が小学生の頃、70年代といえば、CB50JX、RD50、RG50が6.3PSの横並びでクラス最速を競い合っていた。当時の高校生が最初に手にするといえば、こういうモデルであったり、或いはミニトレのGT50、MR50、TY50、TS50、TL50辺りのトレールモデル、或いは、モンキーのようなレジャーモデルが人気を博していた。
パッと思い付くだけで、このくらいの車種が有った訳だ。
こういう原付モデルに原付免許を取ってゲットして走り回る。これが高校生の青春?でもあったように思う。その後、パッソルが登場してからはチョットやんちゃな高校生の御用達として選ばれるようになる。
80年代に入ると、キャストホイールが解禁され、原付スポーツにも採用され一段と立派になる。RD50SP、RG50Eがキャスト化し、ホンダからはクラス最高の7PSのMB-5が登場。更に、カワサキが原付市場に参入、クラス最高の7.2PSを発揮するAR50を登場させる。この頃から、原付スポーツは四メーカーのスポーツモデルが群雄割拠の状態。その後、各メーカーから7.2PSのモデルが相次いで登場。キャストホイールの次は水冷化でRZ50、MBX50、RG50ガンマが登場するに至る。
このころ、原付でも100km/h出るとか社会問題となり、リミッター装備等々の規制が入るようになる。それでも、この頃の原付モデルのラインナップの豊富さは尋常では無かったのである。
この原付モデルが隆盛を誇っていたのが、1970年代後半から1980年代半ば迄。この頃の高校生が市場を牽引している。因みに、1982年の原付届出台数は275万台で現代の10倍である。この頃の高校生、つまり1960年代前半生まれ世代が市場を支えていたのである。
高校生、十代世代の関心を惹いた事。これが二輪市場隆盛の歴史の中で非常に重要で後世にも大きな影響を及ぼしている。因みに、原付のピークは1980~1982年頃だけど、自動二輪のピークは1983~1988年頃である。購入者平均は、この時代で20代前半である。
つまり、原付市場を牽引した世代が成長し、経済力を身に付けて自動二輪車市場を活性化したといって間違い無いのである。この世代が中型レプリカブームを牽引したといって良いだろう。
その後、大型二輪免許の教習所取得解禁による重量車ブーム、近年のリターンライダーによる事故、大型二輪車人気といったムーブメントを引き起こしているのは、良くも悪くも十代で原付ブームを引き起こした世代ということになっているのが興味深い。
今、色んなカテゴリーに工夫を凝らしたモデルが登場しているけど、大事なのは若年世代にバイクの魅力を伝える事こそが重要ではないだろうか?というのが、過去からの流れを見ての感想である。
これまで、ビグスク、トラッカー、アメリカン、近年だと250ccクラススポーツバイクが注目を浴びているけど、何れも高価。対象年齢が二十代、三十代と高齢、、、、大事なのは、十代世代の関心を惹く事のような気もする。1960年代前半生まれ世代による購買欲が市場を支える時代はもうすぐ終焉の時を迎える。彼ら世代が高齢者となると、いまのままだと、二輪市場はジリ貧のような気もする。今こそ、十代世代に魅力を伝える新たな取り組みが求められている。そんな気がする。当時の原付スポーツに代わる原付○○を提案すべきだろう。
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