検査は少なすぎる!?
こういう論調、少なく無い。朝日系列のメディア、後はメディアに取り上げられる一般市民の声とか、良く判らない評論家、論説委員等からの声。
でも、本当に少ないのか?というと、良く判らない。
検査能力=検査可能人員では無い。感染者の陰性化を確認するために能力を割り当てる必要もある。
検査自体は、保健所、医療機関が検査要を判断してからの実施であり、検査可否判断基準は、定められた基準に従う。これに従って検査を行う訳だけど、体調不良を訴えた人間が保健所等に相談した後に実施する訳だ。検査要と見なして検査して陽性判定された人の割合が陽性率で、その数値は3~5%で推移していた。三月下旬から感染者が激増していた期間でも、再検査等重複分を除外してからの陽性率は、一部メディアが盛んに報道していた58%なんて数字は実際には存在せず、多くとも15%程度、その後は5%以下に落ち着いている。危険と言われていた関西圏での最新の陽性率に至れば2.3%に過ぎない。危機的な数値を煽り立てて内外に発信しているのが、パニック大好きで体制批判が好きなメディア。
検査数が十分では無いかも知れないが、検査は要治療者の炙り出しであり、医療機関が必要判定した人を検査出来れば十分で、体調不良者で希望者の全数検査自体がナンセンス。
本人がヤバイと思って検査を申し出た人対象でも、数%未満の陽性判定しか出ていないのが現実である。検査数を増やせの大合唱で増やしたとしても、安心のために受けたがる人が増えて、その分、人員と手間が浪費されるだけだろう。実際の陽性率が極めて高い状態が持続しているならば検査を増やすのは有用だろうけど、現状、検査を増やしまくるのは考え物では無かろうか?メディアが煽る程、一般市民が念のためという理由で受けたがるのが日本人の性。そんな気がする。
感染性、感染後症状を見ると、殆どが意識しないままに感染を終えている。因みに、検査数が多い海外にしても感染者全てを追い掛けられているのではない。検査陽性でカウントされている感染者と、今行われ始めた感染歴を調べる抗体検査での抗体保持者の調査を見れば、その比率は概ね同じ数値となっている。
尚、世界人口75.5億人、感染者数は350万人、死者数25万人である。日本なら1.3億人、感染者数は15,000人、死者600人弱である。アメリカは3.3億人の人口で、感染者125万人、死者7.5万人である。
感染者比率は、世界で0.046%、アメリカで0.38%、日本で0.01%だ。死亡者比率は人口比で世界で0.003%、アメリカで0.02%、日本で0.00046%に過ぎない。因みに、感染者中の死亡率は殆ど無意味。感染しても無症状で抗体が出来て終わっただけの人が多すぎるからだ。因みに、抗体保持者の率は、広い調査は出来ていないが、アメリカのニューヨーク州で14%だそうだ。因みに、日本の神戸市では3%とのこと。これを全土の抗体保持者率に当て嵌めるのは強引だが、アメリカなら4620万人、日本なら390万人、これに対する死亡者率は、アメリカなら0.5%、日本なら0.015%に過ぎない。感染者が多いというアメリカでさえ、この程度である。この領域の数値なら日本もアメリカも世界も、そう変わらない。逆に言えば、現在の体制で検査数は十分とも言える。
世界的に見て、感染して重症化、死亡に至る確率は限りなく小さい。そして、実際には多くの人が感染に気付かないまま自然治癒しているのである。感染したとしても病状が顕在化した時に治療を施すという方針に従えば、治療法を間違わないためのPCR検査という事で良いのだろう。通常治療で効果が無い場合、検査で新型肺炎を明らかにして治療するという方針に従えば、現状の方法は至って合理的に思える。
最近はマドンナの行動を批判する声がネットニュース等に公開され、それに賛同するコメントが多く見受けられるが、正直、違和感しかない。本人は抗体を有しており、過去に感染していたかもしれないが気付かず終わっている。本人にとってはリスクは無いのである。
そもそも重症化している人の致死率等々を調べると、死亡原因を他と比較すれば驚く程小さい数値である。国内で言えば、餅を喉に詰まらせる不慮の窒息死の方が多いのが現実である。交通事故よりも、不慮の溺死よりも、自殺者よりも少ない。糖尿病に比較しても1/20レベルの少なさである。感染して重症化して死に至る場合もあるだろうけど、その割合が極めて低いのである。重症化比率は持病がある人、高齢な人、、、それでも10%程度である。50代以下だとリスクは殆ど無いのが現実である。
マドンナの感覚は個人的には違和感は感じない。そういうスタイルもアリだと思う。自身が還暦過ぎの高齢でありながら、そういう感覚を持てるというのは、日頃の摂生の賜物であり、日常的に健康に留意してきたライフスタイルによって得た自身の身体への確固たる信頼があってのモノだろう。尊敬に値することは有っても批判の対象には成り得ない。高齢であっても健康と活力を保つための取り組みの偉大さ、習慣持続の執念には凄さしか感じない。
過度に潔癖なスタイルを徹底する必要性は殆ど感じない。守るべきは高齢者、持病罹患者であり、行動を制限するならば、そういう状態にある人が外部との接触を避けるようにする方が合理的。活動が活発な世代の行動を抑制するのと、どっちが合理的か?と言えば、考える以前の問題だろう。持病持ち、高齢者が三密を避けて行動し、若い人との接触を断つだけで十分とも言える。そういう人が集まる介護施設、福祉施設へのアクセスを厳重に制限したり、家庭で高齢者が居る人の活動に配慮を行うのが正攻法の筈だ。パチンコ等遊技業を悪玉扱いしたり、学習塾、スポーツセンターを閉鎖するのも変な話である。
パチンコとかスポーツジムへの高齢者の立ち入りを制限する方が遙かに合理的なのである。
検査について言えば、重症者治療に当たる医療従事者こそ、抗体検査を行い感染による重症化リスクを下げるといった取り組みこそが重要であり、メディアが一般市民を煽って行政施策を否定や批判するような機運を盛り上げる事の方が危険なようにも思う。
中韓式にプライバシーもクソも無しで、感染者にGPSを付けて行動管理するような方法が学ぶべき方法というのであれば、それはそれで危険な思想のように思う。
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