やりすぎ感
新しい生活様式、、、最近、ソーシャルディスタンスで2mとか、屋外でもマスクだとか、フェイスシールドだとか、、、、体育館の中で2m間隔の机で授業とか、、、どうなんだろうか?
新しい生活様式、アルコール消毒、マスク必須、フェースシールド推奨、、、、
それはそれでよいけど、それだったら、娯楽、遊技、歓楽、飲食、、、、それは成り立たない。ポツンと座って観戦だとか、無口で外食だとか、鬱陶しい装備で運動だとか、、、意味無くない?って感じ。この新しい生活様式ってのは、娯楽、サービス業界に死ねと言っているのと同じだろう。
コロナが終息するまでといっても、今の価値観では薬やワクチンが普及しない限り有り得ない。それまで、このやりすぎ感で突っ走るのだろうか?
そこまでの距離感とか装備が必要なら、外に出る必要なんて無くないか?
そもそも、そこまでの距離感で神経質になる必要があるか?というと、これもやっぱり疑問でしかない。当初、抗体保持率が3.3%というのが神戸市の統計で発表されたけど、その後の東京等の採血血液からの検査で1%未満ということも判った。仮に1%だとして、1.3億人の1%だとすれば130万人である。これで検査で異常を訴えて陽性判定されたのが1.6万人、そして死者が800人、、、、想定される最大感染者からの死亡率は0.06%、つまり百万人に数人の死者に過ぎない。そして、最近の新しい生活を唱える前での蔓延状況は人口の1%、多くとも3.3%に留まっている。この数値は海外の10%前後と較べるとオーダー違いの少なさであり、感染は従来のスタイルでも感染が過度に広がっては居ないとも言える。
感染力の実態とか、感染後の致死率を考えると、やはり、過度に恐れる必要も感じないし、新しい生活という形態を受け入れる必要性もあまり感じない。
まぁ、同調圧力を感じるので、敢えて抵抗して行動するなんてしないけど、正直、バカだなぁ、、、、というのが偽らざる感想。
感染が判ると大人しく過ごす、感染拡大地域への往来は控える、衛生的に微妙な飲食を控えるというのは常識の範囲内で対応すれば済むだけで、何から何まで強引に、、、これは微妙。
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