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2021年1月26日 (火)

醍醐味は速度じゃない

単車を操縦する。その時、操っている感を実感するのに必要なのは何か?
それは、、、、決して速度ではない。いや、速度以外の方が大事、、、個人的には、そう思う。
速度、、、、それは、度胸だけ。アクセルを開けたら開けた分だけパワーが出る。そして速度が出る。それだけだ。
そういう部分を楽しもうと思えば、必要なものは、大パワー、それから真っ直ぐ気味の道。これが揃えば満喫出来る。しかし、それでは二輪を操っている感は得られない。

操っている実感というのは速度域関係無しだ。
低い速度域でも楽しめるし、高い速度域でも楽しめる。

ただ、一般人が公道で日常生活で楽しもうと思えば、高い速度域で楽しむってのは御法度。仮に、三桁を超える速度域で操っている醍醐味を満喫したければ、それは一般公道以外で楽しむしか方法は無い。サーキットのスポーツ走行なりに参加して、存分に楽しめばよいし、更に深みに嵌りたければ、アマチュアレースに参加して競ったり記録を求めたりすれば良い。
一般人が日常で操っている実感、醍醐味を感じようと思えば、現実的な速度域の範囲で楽しむしかない。現実的な速度域というと、一般道だと上限で60km/h、山間部なら50km/hというところか?この範囲内でも楽しめない事はない。十分に操縦している実感を得る事は可能だ。

基本、操っているというのはどういう状態か?

それは、二輪車は基本的に直立直進状態が特性的に自律する方向であり、それに身を任せるというのは操っているという事にはならないだろう。操っているというのは、自律して安定を保とうとする二輪車を、意志で不安定な状態を作りだして車体の運動を支配するということ。この不安定な状態で運動状態を、より大きく、より素早く変える事が出来れば、より操っているという実感を得る事が出来る。

二輪車を楽しむというと、コーナーを楽しむということと同義と捉えれば、コーナーに如何に接するか?と言えば、素早い旋回、角度の大きな旋回ということ。つまり、連続した大きく回り込んだヘアピンが続くようなつづら折れの道であれば、速度が高く無くとも十分に操っている実感が得られるもの。

こういう状況は低い速度でも十分に接する事が出来るのである。そういう道というのは、殆どの場合、山奥で誰も通りたがらない酷道レベルの道。こういう道で遊べば、批判を受けるような速度でなくとも十分楽しめる。

人目に晒されて白い目で見られるような状況で、精々100km/h+の速度で、その気になって暴走して検挙されるなんて、、、、止せばよいのに、、、、。

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