運転操作の自動化と簡略化
運転の自動化というのと操作の簡略化というのは別物では無いだろうか?
自動化というのは、操作における意志を運転者側から機械側に主体を移す事。
一方で、簡略化というのは操作における意志の主体はあくまでも運転者側にあって、操作体型や手順を変えているだけ。
最近は高齢者に限らず考えられない事故が多発しているけど、この原因は、運転操作が簡略化されることにより、集中力を欠いた運転者、或いは、判断力が衰えたり欠如した運転者の誤操作による部分が少なくない。
このような事故を撲滅させるために最近進んできたのが運転の自動化。自動化というのは操作を機械が肩代わりしてくれる事で運転者の誤った操作を防ぐための技術。自動ブレーキであったり、車線維持であったり、速度維持というのは、そういう技術だろう。
昨今、高齢者の運転はサポカーに限定するといった案も検討されているが、サポカーに限定させるだけでなく、運転操作の簡略化の進んだ車両を与えないというのも一案だろう。簡略化された操作で運転出来るモノは、判断力や操作技量が衰えていても操作というか運転が可能、、、、これが危険の元凶とも言える。
他にも、運転操作の簡略化が進んだ結果がもたらした弊害と言えば、スマホやナビを運転中に操作する『ながら運転』による悲惨な事故だろう。運転操作の簡略化が進んだ結果、片足、片手での運転が可能となる。そうなると、他の操作を行いたくなるというのが人の性でもある。運転が簡単になったがためにスマホ操作で運転することになる。片手が空いているが故とも言える。
運転操作を簡単にすればする程、運転自体に集中力を欠いて臨む者が増えてくる。そんな印象である。
仮に、オートマチックが存在せず、全てがマニュアルミッション車でクラッチ付きだったとすれば、相当数のスマホながら運転は減らす事ができるだろうし、踏み間違い等による暴走事故も無くす事が出来る。更に言えば、車幅等が感覚で把握しやすいようなサイズを守っていれば、道路上で離合の際に生じるトラブルも減らす事が出来る筈だ。
運転操作を簡略化してイージードライビング、イージーライディングを追求する程に、操作者の意志主体で動かす車両は事故を誘発しやすいだろう。イージードライビング、イージーライディングが可能な車両というのは、危険防止に有効なハンドル操作、ブレーキ操作も基本は機械任せにさせるべき、、、、そんな気がする。
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