造語症
こういう症状があるそうだ。
引用(ピクシブ百科事典より)すると、【辞書に存在しない造語を創作し、さも当たり前のように使う症状。】とのこと。
一般的には、精神病疾患者が創作した造語を、当たり前のように使う症状とのことで、諸説あるようだけど、当人が使う言葉だから、他人も理解出来るという意識から発する症状とのこと。
これに該当するかどうか知らないが、ネットの中でも時折、見慣れない言葉というかワードに出会すことがある。
ネットというと、単車関連だけど、『乗り士』、『二輪士』、『乗り屋』なんて言葉。
これ、全部同一人物が使っている言葉のようだけど、この言葉、他では見たことがない。
『乗り屋』ではなく『走り屋』なら良く聞く言葉、『二輪士』ではなく『二輪自動車整備士』とか『中古車査定士』なら聞く言葉。
気になったのは、○○屋、○○士と、『屋』と『士』が使い分けられている事。そこに造語した人の潜在意識が働いているのか?と思ったり、、、
因みに、勝手なイメージだけど、実際の商売での○○屋ではなく、日常生活で『走り屋』的に使う『屋』のイメージは、他にどんな言葉があるか?と考えると、殆ど思い付かない。『走り屋』の他には『殺し屋』くらいか?だとすると、反社会的なイメージだろうか?
ならば、『乗り屋』ってのは、反社会的で乗るというと、走るという活動的な言葉ではないので、日常に乗って反社会的というと、免許を持ってないという事なのかも知れない。
もう一つ、○○士っていうと、整備士、査定士等々だから、特殊な業務を行う上で必要な国家資格を持った人、有資格者というイメージ。だから『二輪士』というのは、もしかしたら免許を持った人全般を指すのかもしれないけど、『乗り士』という言葉も使われている事を考えると、免許を持っているが乗っていない人、ペーパーライダー等が『二輪士』で、普通に免許を持っている人が『乗り士』なんだろうか?
ただ、言えるのは、、、、○○屋という言葉を使い手の中で肯定的に使う背景には、単車に乗ると言うことが、少しワルでカッコイイという印象が背景にあるのだろう。恐らくだけど、一般に中学生くらいが盗んだバイクとか無免許で乗るのをカッコイイと思っているのと同じ様な精神年齢というか、そういう意識レベルなんだろう。単車に乗ることがアンダーグランドで不良っぽくカッコイイという思い込みから生まれてきた言葉だと思う。
更に、○○士というのは、資格に対する意識が強いということだろう。意識が強いという尾は、恐らくだけど、本人さんが世間一般でいう普通の資格を持っていない背景が、自分は凄い資格を持っているアピールを拗らせて出てきた言葉と想像される。二輪といえば、原付免許、普通二輪免許、大型二輪免許とある。恐らくだけど、自分を二輪士なんて宣う背景には、恐らく大型二輪免許を持っていなく、憧れと嫉妬があるのだろう。
このことから、この言葉の作った人というのは、思考が中高生レベルで停止して、大型二輪に乗る人に強いコンプレックスを感じながら、実年齢的には高齢で俺様凄い!をアピールしたい気持ちの度が過ぎて、自分の世界を作り、現実との境界を認識出来なくなったのだろう。空想と現実の境界を失う、、、確かに、精神病疾患者といえる。少し、気の毒かもしれない。この背景を前提にすると、大型二輪ユーザーとか、大型スポーツ車ユーザーにヘイトを撒き散らし造語を大量に作るのも、なるほど!と理解出来る。
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