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2021年4月 1日 (木)

広島の予備校

というと、最近は東進とか、そういうのが多い。
しかし、80年代といえば、広島はYMCAと河合塾が双璧。代々木ゼミナール参入前だ。
でも、80年代以前からの名門といえば、加計学園で話題となった加計学園のルーツである。それは、広島英数学館予備校だ。これは広島市中心部並木通りの先、地蔵通りと呼ばれる小町にあった。その建物は、今は通信制高校の並木学院高校として使われているけど、2004年以前は広島英数学館予備校である。

英数学館予備校では、名物先生で数学の清原の名物先生、清原先生の清原ゼミというのが開講されていて、それに通っていた事がある。清原先生は予備校生対象の清原塾というのも運営されていた。

この予備校の夏期講習に参加したけど、非常に印象的だったのを覚えている。
参加費は、一週間で5000円程度だったと思う。県北の廃校校舎を改装した学習センターで、大学の先生が来て朝から晩まで授業するスタイル。冷房無しだから窓開けっ放し、授業中に虫が飛び回る中での授業だけど、一週間で食事付きで5000円、破格である。

自身、この清原先生の数学の解法は非常に参考になって大変感謝している。

最近は、ネット授業で名物先生もいらっしゃるようだけど、昭和的な名物先生の授業の方が何となく好きだ。

自分は大学生になった後、塾講師でバイトを行っていたけど、大学四年からは塾経営を行い、大学院時代、卒業後も経営を行っていた。その時の授業スタイルは、この清原先生のスタイルに大きく影響を受けている。また、夏休み、冬休みは参加費無料に泊まり込みで授業のラリーを行っていたのも覚えている。これは生徒に結構好評だった。

塾講師時代に担当生徒の進学先は、高校なら灘、ラサール、開成、大学なら東大、京大、防衛大学辺り迄カバーしていたけど、父兄の負担を考えて後半の4年はテキストは一切使わない授業を売りにしていた。ホワイトボードに要点を説明しながら書いて写させる。完成したノートが参考書であり問題集である。問題はパソコンで生徒に応じて作成、一回の講義でラリープリントを担当科目で10枚程度印刷して渡していた。平成元年頃で中三の月謝が27,000円に設定していたし、塾の広告は、バスの吊り広告を出したりしていたのも懐かしい。

因みに、平成元年、二年頃のバイト収入は50代のサラリーマン年収を超えていたの。バブルである。その資金は殆どがバイクの購入費、カスタム費用に消えていた。

それを支えてくれたのは広島の予備校の元祖、英数学館予備校の授業スタイル。特に数学の清原英毅先生、運営の森福一先生は記憶に残っている。

それから、今の並木学院高校の隣の中華料理屋さんの菊屋さん、ここの中華そば、塩、味噌、醤油が選べる。結構美味しい。2019年時点でも店は在るみたい。チャーハンも美味しい。

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