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2021年3月31日 (水)

ならば広島大学は?

小学校、高校と思い出したら、大学も、、、、大学はというと、総合移転事業中で所属する工学部のみ移転した状態での大学生活である。
だから、本部が千田町、工学部が東広島市というパターン。大学二年の前期迄が一般教養で総合科学部の授業を千田町で受講していた。工学部は移転していても旧校舎は残っており、アーチェリー部の練習場として使われていた。今の産業技術振興機構とかマンションは建っていなかったのだ。

千田町の広島大学は、如何にも都会の大学で、今の西条東広島の大学よりも楽しかった印象である。電車通りの正門から入ると森戸道路がつらなり、付き上がりに被曝建物の旧理学部一号館に突き当たる。森戸道路に入ると左隣が総合科学部の体育館、右が喫茶部、学生会館、更に行くと、左が文学部、総合科学部、右が経済学部、法学部、教育学部と並んでいた。校舎は手狭、廊下も手狭、非常にタイトな所に大量の人数が居た印象。食堂も狭い間隔で4箇所程度はあったように思う。

因みに、工学部は東広島移転済みだけど、他の学部は無し、卒業間際に生物生産学部が移転してきて、大学院に通っていた頃に教育学部が移転、修了後に教官の依頼で大学に通っていた頃に理学部が移転してきた。また産官学で共同研究を行っている時に総合科学部、文学部、法学部、経済学部が移転してきた。自身が広島大学に通っていたのは昭和59年~平成3年、ゼミ繋がりで週一で通っていたのが平成4年、産官学共同事業で週3~4で通っていたのが平成5~平成11年頃だ。その頃が予定していた学部が移転済み。だから、学部の移転をリアルタイムでずっと見てきた訳である。ただ、一番最初に移転完了した工学部の校舎は既にボロボロ、、、、もしかしたら、工学部だけ余所に移転したりして、、、そう思ったりする。

工学部には工作棟が付随しており、そこの担当教官と仲良しになると工作機械を自由に使わせて貰っていた。そこでバイクのカスタムパーツをワンオフ製作したりしていたのも懐かしい記憶である。

大学の変化というより、周辺の街の変化の方がダイナミック。昔の西条キャンパス周辺は田んぼしかなかったけど、今は学生街が広がっている。一方で、千田キャバスは昔は学生街で埋め尽くされていたけど、今はシャッター通りになって寂しくなっている。

そういえば、千田キャンバスの旧理学部一号館は再生して何かに利用するらしい。こちらは有機化学の授業を受けたので記憶に残っている。生きている内にもう一度訪ねてみたいものである。

因みに、千田町から大学が移転してからは、グリーンフェスティバルが開催されたくらいで、殆ど空き地状態。今は、マンションが建っているだけ。

大学は、、、、やっぱり広島市内に残しておくべきだったように思う。西条は広くて良いけど、何だかんだ言って遠いし、寒いし、雪が多い。広いけど、移動に車が必須、、、、

やっぱり不便である。

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