長寿高齢化は正しいか?
医療技術、介護体制の充実によって社会の長寿高齢化が進んでいる。
これによって平均寿命は飛躍的に延びているけど、この年齢が伸びているのは、診断による早期発見、早期治療だったり、高度医療の発達に寄るところが大きい。
しかし、このような長寿高齢化というのは果たして正解か?というと、自身は必ずしもそう思わない。
等身大で考えると、早期発見早期治療で健康に留意して健康診断を受診する、、、これは正しいか?というと、最近は一寸違うような気もする。
健康診断は程々に、見付かった時は手遅れで終了、、、、極論すれば、それでも良いような気がする。昔なら55歳で定年、そして70歳前くらいで御臨終、、、、これが、神経質な医療体制の行き届く前の社会での常識である。人間の人生を考えると、20歳迄が社会貢献させるための投資時期、そして20~55歳くらいが社会貢献によって社会に生産力を与える時期、そして、それ以上は生命を維持させるコストが掛かり社会にとっては維持負担が掛かる時期、、、そう考えてもおかしくないのではないだろうか?
現代においては大規模自然災害、或いは、認知症云々と交通問題、貧富の差、世代間の差の確執による不幸な親族間の事件、、、、これらが少なく無いけど、この原因を冷静に見つめれば、社会を構成する世代の幅の広さ、特に高齢者世代の高齢度合だったりする。自然災害の被害者といえば、逃げ遅れだったり、そういう施設の被害が少なく無い。交通事故で自動運転云々というのは運転能力が無いのに運転させるために生じる不幸とも言える。世代間の確執問題といえば、価値観の違いによる祖父母世代と孫世代の意見の違いだったり、或いは、過度な高齢化による介護疲れ問題等が思い浮かぶけど、これは、医療技術、介護体制の過保護によって生まれたモノと言ってもおかしくないように思う。
最近、ふと思う。健康に気を付けるのは程々に、終わったら終わったで良いか?と思ったりする。また、自身が仮に長生きしたとしても、子供に面倒を見て貰うつもりも無いし、ヤバイ時期には財産全部処分して介護施設に入所して終了で良いかな?なんて事だったりする。
まぁ、何にしろ無理矢理、強引にあらゆる手を施して長生き、、、、それはしたくない。
長生きしたいけど、医療技術にどっぷり浸かってというのは違うなぁ、、、
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